安芸国・備後国はどんな土地だったのか
毛利元就は安芸吉田の郡山城を本拠とする国人でした。周囲を大内氏と尼子氏という二大勢力に挟まれ、どちらにつくかで家の存続が決まる立場です。
元就は次男を吉川家、三男を小早川家へ送り込んで安芸の有力国人を一族に組み込みました(毛利両川)。1555年の厳島の戦いで陶晴賢を破り、大内領を吸収します。
1566年に尼子氏を滅ぼして中国地方をほぼ制圧しました。孫の輝元の代に織田・豊臣と争い、関ヶ原では西軍の総大将に担がれて120万石から37万石へ削られます。
安芸国の毛利氏は、もとは一郡を治めるだけの国人でした。厳島の戦いで大内の実権者・陶晴賢を破り、一代で中国地方10か国を支配する大勢力へ変わります。
現在の広島県西部。毛利氏の本国で、厳島がある。
現在の広島県東部。
毛利元就は安芸吉田の郡山城を本拠とする国人でした。周囲を大内氏と尼子氏という二大勢力に挟まれ、どちらにつくかで家の存続が決まる立場です。
元就は次男を吉川家、三男を小早川家へ送り込んで安芸の有力国人を一族に組み込みました(毛利両川)。1555年の厳島の戦いで陶晴賢を破り、大内領を吸収します。
1566年に尼子氏を滅ぼして中国地方をほぼ制圧しました。孫の輝元の代に織田・豊臣と争い、関ヶ原では西軍の総大将に担がれて120万石から37万石へ削られます。
安芸の国人から中国地方の覇者へ。元就・隆元・輝元の三代。
元就の次男・元春が吉川家を、三男・隆景が小早川家を継ぎ、毛利本家を支えた。
周防を本拠に安芸へ影響を及ぼした西国の大大名。陶晴賢の謀反で崩れた。

謀神
安芸国の小領主から中国地方の覇者に成り上がった稀代の謀略家。「三本の矢」の逸話で知られる。

智の隆景
毛利元就の三男。小早川家を継ぎ、毛利両川体制の一翼を担った知将。

鬼吉川
毛利元就の次男。吉川家を継ぎ、小早川隆景と共に「毛利両川」体制を築いた猛将。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
謀神
1497〜1571/安芸国の出身/毛利氏の大名
智の隆景
1533〜1597/安芸国の出身/毛利氏の武将
鬼吉川
1530〜1586/安芸国の出身/毛利氏の武将
西国の総大将
1553〜1625/安芸国の出身/毛利氏の大名
広家
1561〜1625/安芸国の出身/毛利氏の武将
外交僧
1539〜1600/安芸国の出身/毛利氏の軍師
早世の当主
1523〜1563/安芸国の出身/毛利氏の大名
毛利秀包
1567〜1601/安芸国の出身/毛利氏の武将
毛利氏代々の本拠
広島県
吉川元春入城 1550年(天文19年)
広島県(安芸国)
福島正則の入城 慶長5年(1600年)
広島県(安芸国)
築城開始 1567年
広島県(備後国)
築城 1552年
広島県(備後国)
1576年〜 鞆幕府の地
広島県(備後国)
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。