三原城

築城開始 1567年

城名三原城(みはらじょう)別名:浮城
所在地広島県三原市(備後国)
築城1567年(永禄10年)、小早川隆景が築城を開始
主な城主小早川隆景
現状続日本100名城。天守台の石垣が残り、その真上にJR三原駅ホームが乗る珍しい構造で知られる

三原城とは

三原城は、毛利元就の三男・小早川隆景が備後国の三原湾に築いた海城である。1567年(永禄10年)、沼田川河口にあった大島・小島の二つの島を石垣で繋いで埋め立て、小早川水軍の拠点となる城の建設を始めた。満潮時には城が海に浮かんでいるように見えたことから「浮城」の異名でも呼ばれる。

隆景はそれまで本拠としていた新高山城から、天正8年〜10年(1580年頃)にかけて三原城へ本拠を移したとされる。1587年、豊臣秀吉の九州平定の功により筑前名島城主となり一時三原を離れたが、1595年に養子・小早川秀秋(毛利元就とは血縁関係のない養子で、豊臣秀吉の正室・高台院の甥にあたる、隆景とは別人)に家督を譲ると三原城に戻って隠居し、1597年にこの城で生涯を終えた。現在は市街地化が進み、天守台跡の真上にJR三原駅のホームが設けられているという全国的にも珍しい光景で知られている。

1552年 隆景、対岸の高山城から新高山城に本拠を移す(→新高山城の歴史)
1567年(永禄10年) 小早川隆景が沼田川河口の大島・小島を石垣で繋ぎ、三原城の築城を開始
1580年頃(天正8〜10年) 隆景が本拠を新高山城から三原城へ移したとされる
1587年 九州平定の功により隆景は筑前名島城主となり、一時三原を離れる
1595年 隆景が養子・小早川秀秋に家督を譲り、三原城に戻って隠居
1597年 小早川隆景、三原城にて死去
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ゆかりの武将

三原城を居城とした人物

小早川秀秋(毛利元就とは血縁関係のない養子で、後に小早川家を継いだ人物)とは別人の、毛利元就の実子・小早川隆景の城です。

隆景の居城を辿る

新高山城 三原城

よくある質問

Q. 三原城とは?

小早川隆景が備後国三原に築いた海城です。瀬戸内海に浮かぶ二つの島を石垣で繋いで築かれ、小早川水軍の拠点となりました。

Q. 三原城はなぜ「浮城」と呼ばれるのですか?

満潮になると城郭が海に浮かんでいるように見えたことから「浮城」の異名で呼ばれました。

Q. 三原城は小早川隆景とどんな関係がありますか?

隆景が1567年に築城を始め、晩年には養子・小早川秀秋に家督を譲ったのちこの城に隠居し、1597年に生涯を終えました。

Q. 三原城の現状はどうなっていますか?

市街地化により遺構の多くは失われましたが、天守台の石垣が現存し、その真上にJR三原駅のホームが設けられている珍しい光景で知られています。

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