鞆城とは
1573年に織田信長によって京を追放された室町幕府15代将軍・足利義昭は、各地を転々とした末、1576年(天正4年)に毛利氏を頼って備後国鞆(現・広島県福山市)に入った。当時この地にあった砦は「鞆要害」と呼ばれ、義昭はここを拠点に約11年間、諸国の大名や寺社へ御教書を発するなど将軍としての権威を保ち続けた。この亡命政権は後世「鞆幕府」と呼ばれている。
義昭は1587年頃に鞆を離れて京へ帰還した。現在に伝わる本格的な城郭としての鞆城は、義昭の時代よりのちの江戸時代初期、1609年頃に安芸備後を領した福島正則が改修・築城したもので、三層の天守もあったと伝わるが、まもなく廃城となった。



