出雲国・石見国ほかはどんな土地だったのか
尼子経久は守護代の家から出て出雲を掌握し、山陰・山陽へ勢力を広げました。その版図は最大で11か国に及んだとされます。
石見銀山は当時世界有数の産出量を誇り、大内・尼子・毛利が繰り返し奪い合いました。銀は貿易を通じて鉄砲や硝石の購入にもつながります。
1566年、毛利元就が月山富田城を1年以上の兵糧攻めで落とし、尼子氏は滅びました。山中鹿介らが尼子勝久を擁して再興を図りますが、上月城で毛利に敗れて終わります。
出雲国の月山富田城は、山陰随一といわれた堅城です。ここを本拠とする尼子氏は一時11か国に影響を及ぼし、そして毛利元就の兵糧攻めの前に滅びました。
現在の島根県東部。尼子氏の本国。
現在の島根県西部。石見銀山があり、大内・尼子・毛利が争奪した。
隠岐諸島。
尼子経久は守護代の家から出て出雲を掌握し、山陰・山陽へ勢力を広げました。その版図は最大で11か国に及んだとされます。
石見銀山は当時世界有数の産出量を誇り、大内・尼子・毛利が繰り返し奪い合いました。銀は貿易を通じて鉄砲や硝石の購入にもつながります。
1566年、毛利元就が月山富田城を1年以上の兵糧攻めで落とし、尼子氏は滅びました。山中鹿介らが尼子勝久を擁して再興を図りますが、上月城で毛利に敗れて終わります。
出雲月山富田城の大名。経久の代に最盛期を迎え、義久の代に毛利へ降った。
尼子を滅ぼして山陰を支配下に置いた。
山中鹿介らが尼子勝久を擁して起こした再興運動。織田信長を頼ったが上月城で敗れた。

七難八苦
尼子氏の家臣。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。

謀聖
出雲の戦国大名。毛利元就や北条早雲と並ぶ「謀聖」と称される策略家。

尼子再興の旗頭
尼子氏一門の末裔。山中鹿介らに担がれ尼子再興軍の総大将として毛利氏に挑んだ。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
七難八苦
1545〜1578/出雲国の出身/尼子氏の武将
謀聖
1458〜1541/出雲国の出身/尼子氏の大名
尼子再興の旗頭
1553〜1578/出雲国の出身/尼子氏の大名
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。