新高山城

築城 1552年

城名新高山城(にいたかやまじょう)
所在地広島県三原市本郷町(備後国)
築城1552年(天文21年)、小早川隆景が築城
主な城主小早川隆景
現状続日本100名城(三原城とあわせて「小早川氏城跡」として国史跡)。石垣や郭跡が残る山城跡

新高山城とは

新高山城は、小早川隆景が備後国沼田川中流域に築いた山城である。沼田川を挟んだ対岸には、沼田小早川氏が約350年にわたり本拠とした高山城があった。毛利元就の三男である隆景は、沼田小早川氏の家督を継ぐと1552年(天文21年)、対岸に新たな城を築いて本拠を移し、これが新高山城と呼ばれるようになった。

隆景は1555年の厳島の戦いで毛利水軍を率いて活躍したが、この頃の居城も新高山城であった。以後も小早川氏の本拠として約30年にわたり機能したが、1567年に瀬戸内海沿岸で三原城の築城を開始し、天正8年(1580年)頃に本拠を三原城へ移し、慶長元年(1596年)ごろには新高山城の石垣が三原城の普請に転用され、正式に廃城となったとされる。

350年間 沼田小早川氏の歴代当主が対岸の高山城を本拠とした(新高山城築城以前)
1552年(天文21年) 小早川隆景が沼田小早川氏の実権を握り、対岸に新高山城を築いて本拠を移す
1555年 隆景が厳島の戦いで毛利水軍を率いて勝利に貢献。この頃の居城が新高山城であった
1567年 隆景、瀬戸内海沿岸に三原城の築城を開始
1580年頃(天正8年頃) 隆景が本拠を三原城に移す
1596年頃(慶長元年頃) 新高山城の石垣が三原城の普請に転用され、正式に廃城となったとされる
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小早川秀秋(毛利元就とは血縁関係のない養子)とは別人の、毛利元就の実子・小早川隆景の城です。

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よくある質問

Q. 新高山城とは?

小早川隆景が1552年に備後国沼田川中流域に築いた山城です。三原城に本拠を移すまで約30年間、小早川氏の中心でした。

Q. 新高山城と高山城はどう違うのですか?

高山城は沼田小早川氏が350年にわたり本拠とした対岸の山城で、隆景が家督を継いだ際に新たに築いたのが新高山城です。旧城と区別して「新」を冠して呼ばれます。

Q. 新高山城はなぜ廃城になったのですか?

小早川隆景が瀬戸内海沿岸により大規模な海城・三原城を築き、天正8年(1580年)頃に本拠を移したためです。その後、慶長元年(1596年)ごろに石垣が三原城の普請に転用され、正式に廃城となったとされます。

Q. 新高山城は厳島の戦いと関係がありますか?

1555年の厳島の戦いで隆景が毛利水軍を率いて活躍した当時、居城としていたのが新高山城でした。

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