日山城

吉川元春入城 1550年(天文19年)

城名日山城(日野山城)
所在地広島県山県郡北広島町新庄(安芸国)
築城/入城1550年(天文19年)、吉川元春が小倉山城より入城
主な城主吉川元春、吉川元長、吉川広家(毛利元就の子孫にあたる吉川氏歴代当主)
現状国指定史跡「吉川氏城館跡」の一部として登山道が整備されている

日山城とは

日山城(日野山城とも表記され、火の山城の別名もある)は、安芸国北部(現在の広島県山県郡北広島町新庄)にあった山城で、毛利氏の重臣であり一族でもある吉川氏の居城である。厳密には毛利元就自身の本拠地ではなく、元就の次男・元春が吉川家へ養子に入って家督を継いだのちに整えた城であり、元就が本拠とした吉田郡山城とは別の城である点には注意が必要。

吉川元春は1550年(天文19年)、それまでの居城であった小倉山城からこの日山城へ本拠を移した。以後、元春・元長・広家と吉川氏三代にわたる居城となり、毛利両川体制の一翼を担う吉川氏の中心地として機能したが、1591年(天正19年)に広家が出雲の月山富田城へ移ったことに伴い廃城となった。現在は「吉川氏城館跡」として国の史跡に指定されている。

1550年(天文19年) 吉川元春(毛利元就の次男)が小倉山城より日山城へ入城、居城とする
1550年代〜1580年代 吉川元春・元長父子の本拠として、毛利氏の山陰方面経略を支える
1586年(天正14年) 吉川元春没後、子の元長、続いて広家が家督を継ぐ
1591年(天正19年) 吉川広家が出雲・月山富田城へ本拠を移し、日山城は廃城となる
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ゆかりの武将

毛利元就にゆかりのある人物

日山城を実際に居城としたのは毛利元就本人ではなく、次男で吉川家の養子となった吉川元春である。元就は同盟・調略によって安芸北部の山内氏らを勢力下に置き、この地域一帯に影響力を及ぼした。

よくある質問

Q. 日山城とは?

安芸国北部(現・広島県北広島町)にあった山城で、毛利元就の次男・吉川元春が養子入りした吉川氏の居城。日野山城とも表記される。

Q. 毛利元就自身の居城ですか?

いいえ。元就自身の本拠は吉田郡山城であり、日山城は元就の子である吉川元春以下、吉川氏三代の居城であった。

Q. 日山城は今も見られますか?

建物は残っていないが、国指定史跡「吉川氏城館跡」の一部として登山道が整備されており、遺構を見学できる。

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