周防国・長門国はどんな土地だったのか
大内氏は日明貿易を独占して莫大な富を築き、周防・長門・豊前・筑前など西国7か国に及ぶ勢力を持ちました。山口には雪舟が滞在し、フランシスコ・ザビエルも布教を許されています。
1551年、大内義隆は家臣の陶晴賢に襲われて自害しました(大寧寺の変)。晴賢は大内義長を傀儡の当主に立てて実権を握ります。
1555年の厳島の戦いで毛利元就が晴賢を破り、続く防長経略で大内義長も滅びました。周防・長門は毛利領となり、関ヶ原後は毛利氏の減封先として長州藩となります。
周防国の山口は、応仁の乱を逃れた公家や僧が下向し、「西の京」と呼ばれるほど栄えた町でした。大内義隆はここで文化を保護し、そして家臣の陶晴賢に討たれます。
現在の山口県東部。大内氏の本拠・山口がある。
現在の山口県西部。
大内氏は日明貿易を独占して莫大な富を築き、周防・長門・豊前・筑前など西国7か国に及ぶ勢力を持ちました。山口には雪舟が滞在し、フランシスコ・ザビエルも布教を許されています。
1551年、大内義隆は家臣の陶晴賢に襲われて自害しました(大寧寺の変)。晴賢は大内義長を傀儡の当主に立てて実権を握ります。
1555年の厳島の戦いで毛利元就が晴賢を破り、続く防長経略で大内義長も滅びました。周防・長門は毛利領となり、関ヶ原後は毛利氏の減封先として長州藩となります。
日明貿易で栄えた西国最大の大名。義隆の死で急速に崩壊した。
大内家の重臣。晴賢が義隆を討って実権を握ったが、厳島で毛利に敗れた。
大内領を吸収し、のちに長州藩として周防・長門を治めた。

西国の覇者
周防・長門など6か国を領した西国の大大名。京都文化を山口に移植し「西の京」と呼ばれる文化都市を築いた。

西国無双の侍大将
大内氏の重臣。主君・大内義隆をクーデターで倒し、実権を握る。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。