どのように勢力を広げた?
信長の拡大は「経済」と「制度」に支えられています。楽市楽座で城下の商業を活性化させ、関所を撤廃して流通を促し、兵農分離を進めて常備兵を確保しました。
軍事面では方面軍制を採りました。北陸に柴田勝家、中国に羽柴秀吉、関東に滝川一益、四国に丹羽長秀・織田信孝と、大身の家臣に方面ごとの指揮権を与えて同時多方面へ攻勢をかけます。
同時に、比叡山焼き討ち・石山合戦・伊勢長島の一向一揆討伐など、武装した宗教勢力との対決も続けました。
織田氏はもともと尾張守護・斯波氏に仕える守護代の、そのまた分家という立場でした。信長の父・信秀が津島や熱田の湊を押さえて経済力を蓄え、信長の代で尾張を統一します。
桶狭間で今川義元を破って名を上げ、美濃を制圧して「天下布武」を掲げ、足利義昭を奉じて上洛。畿内を平定し、各方面に軍団を置いて全国へ攻勢をかけました。
天下統一を目前にした1582年、本能寺の変で信長と嫡男・信忠が同時に死に、政権は数年で羽柴秀吉へ移ります。
尾張国(清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城)
織田信長
1551年〜1582年
尾張統一から畿内平定まで。本能寺の変で自害。
信長の拡大は「経済」と「制度」に支えられています。楽市楽座で城下の商業を活性化させ、関所を撤廃して流通を促し、兵農分離を進めて常備兵を確保しました。
軍事面では方面軍制を採りました。北陸に柴田勝家、中国に羽柴秀吉、関東に滝川一益、四国に丹羽長秀・織田信孝と、大身の家臣に方面ごとの指揮権を与えて同時多方面へ攻勢をかけます。
同時に、比叡山焼き討ち・石山合戦・伊勢長島の一向一揆討伐など、武装した宗教勢力との対決も続けました。
1582年3月に武田氏を滅ぼした時点が最盛期です。残る敵は毛利・上杉・長宗我部・北条のみで、いずれも守勢に回っていました。この3か月後に本能寺の変が起きます。
1560年5月
尾張国・桶狭間
1570年4月
越前国・金ヶ崎
1570年6月
近江国・姉川
1570年9月〜12月
近江国・志賀
1571年9月
近江国・比叡山延暦寺
1575年5月
三河国・長篠
本能寺の変で当主と後継者を同時に失ったことが決定的でした。清洲会議で三法師が家督を継ぎますが、実権は羽柴秀吉が握ります。
織田信孝は賤ヶ岳の後に自害、信雄は小牧・長久手のあと秀吉に臣従し、のちに改易。織田家は大名家としては小規模なまま江戸時代を迎えました。

第六天魔王

智将十兵衛

戦国一の美女

鬼柴田

マムシの娘

道薫

海賊大名

乱世の梟雄

信長の乳兄弟

信長の小姓

退き佐久間

左馬助

米五郎左

鬼武蔵

進むも退くも滝川

奇妙丸

さらさら越え

尾張の虎
