織田氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

織田氏を30秒で

織田氏はもともと尾張守護・斯波氏に仕える守護代の、そのまた分家という立場でした。信長の父・信秀が津島や熱田の湊を押さえて経済力を蓄え、信長の代で尾張を統一します。

桶狭間で今川義元を破って名を上げ、美濃を制圧して「天下布武」を掲げ、足利義昭を奉じて上洛。畿内を平定し、各方面に軍団を置いて全国へ攻勢をかけました。

天下統一を目前にした1582年、本能寺の変で信長と嫡男・信忠が同時に死に、政権は数年で羽柴秀吉へ移ります。

本拠と領域

尾張国(清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城)

歴代当主

  1. 織田信秀 〜1551年 信長の父。津島・熱田の経済力で尾張下四郡に勢力を張った。
  2. 織田信長のAI生成イメージ 織田信長 1551年〜1582年 尾張統一から畿内平定まで。本能寺の変で自害。
  3. 織田信忠 1575年〜1582年 天正3年(1575年)11月に家督を譲られた嫡男。二条御所で討たれた。
  4. 織田秀信(三法師) 1582年〜 清洲会議で家督を継いだが幼少。関ヶ原で西軍につき改易された。

どのように勢力を広げた?

信長の拡大は「経済」と「制度」に支えられています。楽市楽座で城下の商業を活性化させ、関所を撤廃して流通を促し、兵農分離を進めて常備兵を確保しました。

軍事面では方面軍制を採りました。北陸に柴田勝家、中国に羽柴秀吉、関東に滝川一益、四国に丹羽長秀・織田信孝と、大身の家臣に方面ごとの指揮権を与えて同時多方面へ攻勢をかけます。

同時に、比叡山焼き討ち・石山合戦・伊勢長島の一向一揆討伐など、武装した宗教勢力との対決も続けました。

最盛期

1582年3月に武田氏を滅ぼした時点が最盛期です。残る敵は毛利・上杉・長宗我部・北条のみで、いずれも守勢に回っていました。この3か月後に本能寺の変が起きます。

主要家臣

主な合戦

他勢力との関係

徳川氏
清洲同盟(1562年)以来20年、破られなかった同盟。信長の死まで続いた。
浅井氏
妹・お市の方を嫁がせた同盟者だったが、1570年に離反され、3年後に滅ぼした。
武田氏
当初は同盟関係。1572年の西上作戦で敵対し、1582年に滅ぼした。
本願寺
1570年から10年にわたる石山合戦。最終的に顕如が退去した。
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衰退・その後

本能寺の変で当主と後継者を同時に失ったことが決定的でした。清洲会議で三法師が家督を継ぎますが、実権は羽柴秀吉が握ります。

織田信孝は賤ヶ岳の後に自害、信雄は小牧・長久手のあと秀吉に臣従し、のちに改易。織田家は大名家としては小規模なまま江戸時代を迎えました。

関連グループ

織田氏に属した武将(19人)

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