徳川氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

徳川氏を30秒で

徳川(松平)氏は三河の国人領主でした。家康は幼少期を織田・今川の人質として過ごし、桶狭間の後に岡崎城へ戻って独立します。

織田信長との清洲同盟を20年守り、武田信玄に三方ヶ原で大敗しながらも領国を保ちました。本能寺の変後は旧武田領を得て五か国の大名となり、小牧・長久手で秀吉と互角に戦います。

秀吉に臣従したのち関東250万石へ移封され、秀吉の死後に関ヶ原で勝利。1603年に江戸幕府を開き、大坂の陣で豊臣家を滅ぼして戦国時代を終わらせました。

本拠と領域

三河国(岡崎城)→遠江国(浜松城)→駿河国(駿府城)→武蔵国(江戸城)

歴代当主

  1. 松平広忠 〜1549年 家康の父。今川の庇護下にあり、家臣に殺害されたと伝わる。
  2. 徳川家康のAI生成イメージ 徳川家康 1549年〜1616年 桶狭間後に独立。関ヶ原に勝ち、江戸幕府を開いた。
  3. 徳川秀忠のAI生成イメージ 徳川秀忠 1605年〜1632年 2代将軍。武家諸法度・一国一城令で幕府の統制を固めた。

どのように勢力を広げた?

家康の拡大は、機会が来るまで動かず、来たときに一気に取るという形で進みました。桶狭間で今川が崩れたときに三河を、武田が滅び織田の統治が消えたときに甲斐・信濃を取っています。

家臣団の作り方も特徴的です。三河以来の譜代を核としつつ、武田の遺臣(井伊直政の赤備え)や北条・今川の旧臣を積極的に登用し、実務能力で組織を強化しました。

関東移封は本来なら本拠地を失う左遷ですが、家康は江戸の治水と町割りに取り組み、結果として最大の経済基盤を作り上げます。

最盛期

1600年の関ヶ原の勝利から1615年の大坂の陣までが決定的な時期です。関ヶ原後の論功行賞で全国の大名配置を組み替え、徳川に敵対しうる勢力を遠国へ移しました。

主要家臣

主な合戦

他勢力との関係

織田氏
清洲同盟。信長存命中は一貫して同盟を守り、信長の死後は旧領を巡って動いた。
武田氏
三方ヶ原の大敗を含め、長く争った相手。滅亡後はその遺臣を多数登用した。
豊臣氏
小牧・長久手で戦い、外交で臣従。秀吉の死後に主導権を奪い、大坂の陣で滅ぼした。
真田氏
上田城で二度退けられた相手。関ヶ原では真田信之が東軍、昌幸・信繁が西軍に分かれた。
広告

衰退・その後

徳川氏は衰退することなく、江戸幕府として260年続きました。戦国大名としての姿がそのまま近世の政権へ移行した唯一の例です。

一国一城令と武家諸法度によって大名の軍事力を制度で縛り、参勤交代や普請役で財力も抑えます。戦国という自力救済の時代は、ここで完全に終わりました。

関連グループ

徳川氏に属した武将(16人)

APP 勢力ページの次へ

徳川氏で見比べたら、次は人物どうしのつながりへ。

勢力ごとの顔ぶれを見たあと、アプリでは各武将の関係図や関わった合戦まで自然につなげて読めます。

  • 勢力から人物へ
  • 214人の武将
  • 44件の合戦
  • オフライン対応
徳川氏をアプリで追う Google Play で入手