桶狭間の戦いとは?織田信長が今川義元を破った戦い

1560年5月|尾張国・桶狭間

30秒でわかる桶狭間の戦い

2万5千(諸説あり)を率いて尾張へ侵攻した今川義元を、織田信長が2千〜3千で急襲し、総大将の義元を討ち取った戦いです。

兵力差はおよそ10倍。信長は籠城案を退け、義元本隊の位置を掴んだ上で本陣一点に突撃しました。

尾張一国の領主だった信長の名が一気に知られ、東海道の勢力図が塗り替わります。徳川家康が今川から独立するきっかけにもなりました。

基本情報

戦名桶狭間の戦い
時期1560年5月
場所尾張国・桶狭間
現在の場所愛知県名古屋市緑区・豊明市周辺(桶狭間古戦場伝説地/桶狭間古戦場公園)
両軍織田軍 vs 今川軍
主な武将織田信長徳川家康今川義元佐久間信盛池田恒興今川氏真
結果織田軍の勝利

なぜ桶狭間の戦いは起きた?

今川義元は駿河・遠江・三河を押さえ、東海道最大の勢力になっていました。尾張との国境では鳴海城・大高城をめぐる小競り合いが続いています。

1560年5月、義元は大軍を率いて尾張へ進発します。上洛が目的だったとする通説に対し、近年は尾張の制圧が目的だったとする見方が有力です。

戦う直前の状況

織田方は鳴海・大高の周囲に砦を築いて対抗していましたが、今川軍はこれを次々に攻略。丸根砦・鷲津砦が落ち、清洲城の信長に残された時間はわずかでした。家臣の多くは籠城を主張したと伝わります。

両軍の顔ぶれ

織田軍

兵力
2千〜3千

兵力では圧倒的に不利。総大将一点への攻撃に賭けた。

今川軍

兵力
2万5千(諸説あり)

兵力を各所の攻略に分散しており、本陣の護衛は5千程度だったとされる。

兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。

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  • 1560年5月
  • 尾張国・桶狭間
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戦いの流れ

  1. 今川軍の進発(5月12日) 義元が駿府を出発。松平元康(のちの徳川家康)が先鋒として大高城へ兵糧を入れる。
  2. 丸根・鷲津砦の陥落(5月19日早朝) 未明から今川方が織田の前線砦を攻撃し、朝までに落とす。信長のもとに落城の報が届く。
  3. 信長の出陣 信長は幸若舞「敦盛」を舞ったのち清洲城を出た。熱田に立ち寄ったのち、善照寺砦に入っている。
  4. 本陣位置の把握 義元本隊が桶狭間で休息していることを掴む。簗田政綱の功が第一とする話は『甫庵信長記』など後年の記述に由来し、確実な同時代史料では裏づけられていない。
  5. 突撃(正午過ぎ) 豪雨のあと、信長が義元本陣へ突入。今川軍は隊形を整える前に崩れた。
  6. 義元討死 毛利新介(良勝)が義元を討ち取る。総大将を失った今川軍は総崩れとなり駿河へ退いた。

勝敗を分けたポイント

  • 総大将の位置を掴んだ兵力差のある側が勝つ唯一の道は総大将を直接叩くことで、信長はそこに情報収集と戦力を集中させた。
  • 今川軍が分散していた砦攻略と城への兵糧入れで兵力が各地に散り、本陣が手薄になっていた。
  • 天候突撃直前の豪雨が今川方の視界と警戒を奪ったと『信長公記』は記す。
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各武将の戦術

戦いの後どうなった?

今川氏は当主を失って動揺し、三河の松平元康が岡崎城に戻って独立します。翌年には信長と清洲同盟を結び、以後20年にわたる織田・徳川の協力関係が始まりました。

信長は東の脅威が消えたことで美濃攻略に専念でき、1567年に稲葉山城を落として「天下布武」を掲げます。

なぜこの戦いが重要なのか

一つの合戦で大勢力が崩れ、無名だった領主が全国区になった例として突出しています。ここで生まれた織田・徳川の協力関係が、その後の天下統一の骨格になりました。

諸説・よくある誤解

信長は迂回して奇襲した?

長く「迂回奇襲説」が通説でしたが、『信長公記』の記述を重視して正面から攻めかかったとする説が近年は有力です。どちらとも断定できていません。

今川義元は上洛が目的だった?

上洛説は江戸時代以降に広まったもので、近年は尾張制圧を目的とした侵攻とみる説が有力です。ただし目的を一つに絞る必要はないとする見方もあり、決着はついていません。

勝利側

敗北側

参戦武将

前後の出来事

この前に何が起きた? 村木砦の戦い(1554年)以来の今川との国境紛争 尾張東部の鳴海・大高をめぐって織田と今川が争い続けていた。
この戦い桶狭間の戦い
この後どうなった? 姉川の戦い(1570年) 清洲同盟で背後を固めた信長は美濃を制圧して上洛し、やがて浅井・朝倉と争う。

関連する合戦

よくある質問

Q. 桶狭間の戦いとはどんな戦い?

桶狭間の戦いは、1560年5月に尾張国・桶狭間で行われた合戦です。織田信長・徳川家康・今川義元・佐久間信盛らが戦い、結果は織田軍の勝利でした。

Q. 桶狭間の戦いはいつ・どこで起きた?

桶狭間の戦いは1560年5月に尾張国・桶狭間(愛知県名古屋市緑区・豊明市周辺(桶狭間古戦場伝説地/桶狭間古戦場公園))で起きました。

Q. 桶狭間の戦いの結果は?

織田軍の勝利

Q. 桶狭間の戦いの参戦武将は?

織田信長、徳川家康、今川義元、佐久間信盛、池田恒興、今川氏真が参戦しています。

参考資料

  • 史料「信長公記」
  • 史料「甫庵信長記」

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