織田四天王とは?
信長を支えた4人の重臣と秀吉が入らない理由

織田四天王とは、織田信長の有力家臣たちを4人にまとめて紹介する際に使われる呼称です。

当サイトでは、柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益・明智光秀の4人を織田四天王として紹介します。

ただし、徳川四天王と比べても「織田四天王」という呼称の使われ方や構成は一定ではありません。信長自身がこの4人を正式に「四天王」に任命したわけでもありません。

そのため、このページでは「織田家に四天王という正式な4人制組織が存在した」とは説明せず、信長政権を代表する有力家臣を知るための呼称として紹介します。

織田四天王の4人

当サイトでは以下の4人を紹介します。

なぜこの4人が挙げられる?

織田信長が尾張の一大名から畿内を中心とする巨大な勢力へ成長すると、一人の大名だけで各地を直接統治することは難しくなっていきました。

そこで有力家臣たちが各方面で軍事行動や地域支配を担うようになります。

柴田勝家は越前を拠点として北陸方面で大きな役割を担い、明智光秀は信長の命を受けて丹波攻略を進めました。

丹羽長秀や滝川一益も信長の主要な軍事行動や領国支配を担った有力家臣でした。

「織田四天王」という呼称は、こうした信長政権の拡大を支えた有力武将たちを理解する一つの切り口として使われています。

なぜ羽柴秀吉はいない?

織田信長の家臣を語るうえで、羽柴秀吉は欠かすことのできない人物です。

そのため、「信長の有力家臣を4人選ぶなら、なぜ秀吉が入っていないのか」と疑問に感じる人もいるでしょう。

これは、「織田四天王」が信長によって正式に定められた4人の役職ではなく、後世の整理・呼称だからです。

織田家には秀吉をはじめ、前田利家、佐久間信盛など多くの有力家臣がいました。どの人物を代表者として取り上げるかによって、別の構成が示されることもあります。

そのため当サイトでは柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益・明智光秀の4人を紹介しつつ、「唯一絶対の四天王ではない」こともあわせて説明します。

参考資料

  • 福井市立郷土歴史博物館「越前北庄の城と城下」
  • 亀岡市文化資料館・亀岡市「明智光秀と戦国丹波 関連資料」
  • 国立国会図書館所蔵資料「織田四天王の運命と福井」

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