長篠の戦いとは?織田信長が武田勝頼を破った戦い

1575年5月|三河国・長篠

30秒でわかる長篠の戦い

長篠城を包囲した武田勝頼の軍に対し、織田信長・徳川家康の連合軍3万8千が設楽原で迎え撃った戦いです。

連合軍は馬防柵を築いて陣地を作り、鉄砲を組織的に用いて武田軍の攻撃を受け止めました。武田は山県昌景・馬場信春・内藤昌豊ら宿将を一日で失います。

武田家はこの損害から立ち直れず、7年後に滅亡しました。

基本情報

戦名長篠の戦い
時期1575年5月
場所三河国・長篠
現在の場所愛知県新城市長篠・設楽原(長篠城址/設楽原歴史資料館周辺)
両軍織田・徳川連合軍 vs 武田軍
主な武将織田信長徳川家康豊臣秀吉本多忠勝滝川一益武田勝頼 ほか
結果織田・徳川連合軍の圧勝

なぜ長篠の戦いは起きた?

信玄の死後、家督を継いだ武田勝頼は積極策を取り、1574年に高天神城を落とすなど徳川領へ食い込んでいました。

1575年5月、勝頼は徳川方の長篠城を包囲します。城将・奥平信昌は500ほどで籠城し、鳥居強右衛門が包囲を抜けて岡崎へ援軍を求めました。

戦う直前の状況

織田・徳川連合軍は設楽原に着陣すると、正面から戦わずに馬防柵・土塁・堀を築きました。武田軍が攻めてくる地形をあらかじめ選び、そこに陣地を用意した形です。

両軍の顔ぶれ

織田・徳川連合軍

兵力
約3万8千(鉄砲は1千〜3千挺と諸説あり)

柵の内側から射撃し、突撃を受け止める構えを取った。

武田軍

兵力
約1万5千

長篠城の包囲に兵を割いたまま決戦に臨んだ。

兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。

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  • 1575年5月
  • 三河国・長篠
  • オフライン対応
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戦いの流れ

  1. 長篠城包囲(5月) 勝頼が長篠城を囲む。奥平信昌が500で籠城した。
  2. 鳥居強右衛門の使い 強右衛門が包囲を抜けて岡崎へ走り、援軍到着を告げに戻る途中で捕らえられた。武田方の求めに反して「援軍は来る」と城に叫び、処刑されたと伝わる。
  3. 連合軍の着陣(5月18日) 設楽原に布陣し、馬防柵と陣地の構築を始める。
  4. 鳶ヶ巣山砦の奇襲(5月20日深夜〜21日払暁) 酒井忠次の別働隊が夜のうちに出発し、夜明けに長篠城を包囲する武田方の砦を落とす。城を解放するとともに武田軍の背後を脅かした。
  5. 設楽原の決戦(5月21日) 武田軍が正面攻撃を繰り返し、柵の前で消耗した。戦闘は8時間近く続いたとされる。
  6. 武田軍の撤退 山県昌景・馬場信春・内藤昌豊・原昌胤ら宿将が相次いで討死し、勝頼は甲斐へ退いた。

勝敗を分けたポイント

  • 戦場を作った柵・土塁・堀を先に築いたことで、武田の騎馬突撃が最も不利な形でしか成立しなくなった。
  • 鳶ヶ巣山の別働隊背後を突かれた武田軍は、撤退か決戦かの選択を迫られた。
  • 宿将を一度に失った兵の損害以上に、信玄以来の指揮官層をまとめて失ったことが武田家の致命傷になった。
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各武将の戦術

戦いの後どうなった?

徳川家康は高天神城など奪われていた拠点を順次奪回し、遠江の支配を回復します。

武田勝頼は新府城の築城など再建を図りますが、1582年の武田征伐で滅亡しました。

信長は東の脅威が薄れたことで、越前一向一揆の平定や中国・北陸への進出に戦力を回せるようになります。

なぜこの戦いが重要なのか

鉄砲の数が勝敗を決めたと語られがちですが、より本質的なのは「陣地を築いて相手に不利な戦い方を強制した」点です。以後、野戦でも築城技術が重視されるようになりました。

諸説・よくある誤解

三段撃ちは史実?

3列が交代で撃つ「三段撃ち」は『甫庵信長記』に見える記述で、より古い『信長公記』にはありません。後世の脚色とみる説が有力です。

鉄砲は3千挺?

『信長公記』には「千挺ばかり」「五百挺」とあり、合わせて1500挺ほどと読めます。「三千挺」は写本によって現れる数字で、後世の加筆とみる説があります。

武田騎馬隊は馬上で突撃した?

当時の日本の合戦では下馬して戦うことも多く、「騎馬隊の集団突撃」がどこまで実態を反映するかには議論があります。

勝利側

敗北側

参戦武将

前後の出来事

関連する合戦

よくある質問

Q. 長篠の戦いとはどんな戦い?

長篠の戦いは、1575年5月に三河国・長篠で行われた合戦です。織田信長・徳川家康・豊臣秀吉・本多忠勝らが戦い、結果は織田・徳川連合軍の圧勝でした。

Q. 長篠の戦いはいつ・どこで起きた?

長篠の戦いは1575年5月に三河国・長篠(愛知県新城市長篠・設楽原(長篠城址/設楽原歴史資料館周辺))で起きました。

Q. 長篠の戦いの結果は?

織田・徳川連合軍の圧勝

Q. 長篠の戦いの参戦武将は?

織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、本多忠勝、滝川一益、武田勝頼、馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、大久保忠世、佐久間信盛、仙石秀久が参戦しています。

参考資料

  • 史料「信長公記」
  • 史料「三河物語」
  • 史料「甲陽軍鑑」

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