浅井氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

浅井氏を30秒で

浅井氏は北近江の国人から出て、亮政・久政・長政の三代で戦国大名になりました。南近江の六角氏と長く争っています。

長政は織田信長の妹・お市の方を妻に迎えて同盟を結びますが、1570年の越前攻めで離反しました。朝倉氏との代々の縁を優先したとされます。

姉川・志賀の陣を経て、1573年に小谷城が落ち、長政は自害しました。三人の娘(茶々・初・江)はその後の歴史に大きく関わります。

本拠と領域

近江国(小谷城)

歴代当主

  1. 浅井亮政 〜1542年 京極氏の被官から北近江の実力者へ。小谷城を築いた。
  2. 浅井久政 1542年〜1560年 六角氏に従属した時期があり、家中の不満を招いた。
  3. 浅井長政のAI生成イメージ 浅井長政 1560年〜1573年 六角氏からの独立を回復。信長と同盟し、のちに離反して滅んだ。

どのように勢力を広げた?

浅井氏の版図は北近江にとどまりますが、位置が重要でした。琵琶湖東岸を通る北国街道を押さえており、越前と畿内を結ぶ経路を左右できます。

長政は野良田の戦いで六角義賢を破り、六角氏からの独立を回復しました。

最盛期

1560年代後半、信長との同盟期が最も安定していた時期です。北近江を安堵され、朝倉との縁も保っていました。

主な合戦

他勢力との関係

朝倉氏
代々の同盟相手。信長が朝倉を攻めたことが離反の理由とされる。
織田氏
お市の方を娶って同盟。1570年に離反し、1573年に滅ぼされた。
六角氏
南近江の宿敵。長政の代に独立を回復した。
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衰退・その後

金ヶ崎での離反により信長と全面対決になりましたが、単独で織田に勝てる兵力はありませんでした。姉川で敗れ、志賀の陣・比叡山焼き討ちを経て孤立していきます。

1573年に朝倉義景が滅び、続いて小谷城が落城。長政は自害し、浅井氏は滅びました。

お市の方と三人の娘は救出されます。長女・茶々(淀殿)は豊臣秀頼の母に、三女・江は徳川秀忠の妻となりました。

浅井氏に属した武将(2人)

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