本願寺氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

本願寺氏を30秒で

浄土真宗本願寺派は、蓮如の布教によって北陸・東海・畿内に広大な門徒組織を持つようになりました。

加賀では守護を倒して約100年にわたる門徒による支配が続き(加賀一向一揆)、各地の一揆は戦国大名にとって無視できない軍事勢力でした。

石山本願寺は寺内町を城塞化し、1570年から1580年まで織田信長と戦います(石山合戦)。最終的に顕如が退去し、その跡地に大坂城が築かれました。

本拠と領域

摂津国(石山本願寺)

歴代当主

  1. 蓮如 〜1499年 本願寺8世。御文(おふみ)による布教で門徒組織を全国に広げた。
  2. 本願寺顕如のAI生成イメージ 本願寺顕如 1554年〜1592年 11世。信長と10年戦い、石山を退去した。
  3. 本願寺教如 (石山退去に反対) 顕如の長男。徹底抗戦を主張し、のちに東本願寺を興した。

どのように勢力を広げた?

本願寺の力は領地ではなく、門徒の組織にありました。講という単位で門徒がまとまり、寺を通じて動員がかかります。

経済的にも、門徒からの上納と寺内町の商業が財源となりました。石山本願寺は堀と土塁で囲まれた城塞都市です。

毛利氏の支援を受けて海路から兵糧を運び込んだことが、10年の籠城を可能にしました。

最盛期

1570年代が最も動員力を発揮した時期です。石山、伊勢長島、越前、加賀で同時に一揆が起き、信長を複数戦線に縛りました。

他勢力との関係

織田氏
10年に及ぶ石山合戦の相手。伊勢長島・越前でも一揆を鎮圧された。
毛利氏
石山本願寺への海上補給を担った。木津川口の海戦で織田水軍と戦った。
朝倉氏・浅井氏
信長包囲網で連携した。
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衰退・その後

1580年、正親町天皇の勅命講和により顕如が石山を退去しました。徹底抗戦を主張した教如との対立が残ります。

豊臣秀吉によって京都に寺地を与えられ、本願寺は再興されました。のちに徳川家康の時代に東西へ分立します。

宗教勢力が軍事力を持つ時代は、この石山合戦の終結をもって実質的に終わりました。

本願寺氏に属した武将(2人)

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