どのように勢力を広げた?
本願寺の力は領地ではなく、門徒の組織にありました。講という単位で門徒がまとまり、寺を通じて動員がかかります。
経済的にも、門徒からの上納と寺内町の商業が財源となりました。石山本願寺は堀と土塁で囲まれた城塞都市です。
毛利氏の支援を受けて海路から兵糧を運び込んだことが、10年の籠城を可能にしました。
浄土真宗本願寺派は、蓮如の布教によって北陸・東海・畿内に広大な門徒組織を持つようになりました。
加賀では守護を倒して約100年にわたる門徒による支配が続き(加賀一向一揆)、各地の一揆は戦国大名にとって無視できない軍事勢力でした。
石山本願寺は寺内町を城塞化し、1570年から1580年まで織田信長と戦います(石山合戦)。最終的に顕如が退去し、その跡地に大坂城が築かれました。
摂津国(石山本願寺)
本願寺顕如
1554年〜1592年
11世。信長と10年戦い、石山を退去した。
本願寺の力は領地ではなく、門徒の組織にありました。講という単位で門徒がまとまり、寺を通じて動員がかかります。
経済的にも、門徒からの上納と寺内町の商業が財源となりました。石山本願寺は堀と土塁で囲まれた城塞都市です。
毛利氏の支援を受けて海路から兵糧を運び込んだことが、10年の籠城を可能にしました。
1570年代が最も動員力を発揮した時期です。石山、伊勢長島、越前、加賀で同時に一揆が起き、信長を複数戦線に縛りました。
1580年、正親町天皇の勅命講和により顕如が石山を退去しました。徹底抗戦を主張した教如との対立が残ります。
豊臣秀吉によって京都に寺地を与えられ、本願寺は再興されました。のちに徳川家康の時代に東西へ分立します。
宗教勢力が軍事力を持つ時代は、この石山合戦の終結をもって実質的に終わりました。