史詩

上杉謙信

— 越後の龍 —

上杉 大名

上杉謙信のAI生成イメージ
AI生成イメージ
名前上杉謙信
本名・幼名長尾景虎
異名越後の龍
生年1530年
没年1578年
出身越後(新潟県)
勢力上杉
役職大名

上杉謙信の生涯

越後国の守護代・長尾為景の四男として生まれる。幼名は虎千代。兄・晴景から家督を譲られ、越後を統一。1553年より武田信玄と川中島で5度にわたり激突。関東管領・上杉憲政から上杉の姓と関東管領職を譲り受け、上杉謙信と名乗る。

自らを毘沙門天の化身と信じ、「義」のための戦いを標榜した。1577年の手取川の戦いでは織田軍を撃破。1578年、春日山城内で急死。享年49。上洛を目前にした突然の死であった。

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性格・人物像

「義」を重んじる武将として知られ、私利私欲のための戦いを嫌った。酒を非常に好み、酒の肴は梅干しだけという質素な飲み方だったという。生涯独身を貫き、女性との関係は記録にほとんど残っていない。信仰心が篤く、毘沙門天への帰依は本物であった。

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名言

「運は天にあり。鎧は胸にあり。手柄は足にあり」

現代語訳
運不運は天に任せるしかない。身を守る鎧は胸の心構えそのものだ。手柄は自ら足を運んでこそ得られる。
解説・背景
運命に頼らず自ら行動することの大切さを説いた言葉。「軍神」と称された謙信が実際に先陣を切って戦場に立ち続けた実践主義を表すものとして知られる。

「敵に塩を送る」(武田領への塩の供給を止めなかった逸話から)

現代語訳
敵対する相手であっても、苦境にある時は手を差し伸べる。
解説・背景
今川・北条が武田領への塩の流通を止めた際、宿敵の謙信が塩の供給を止めなかったという逸話に由来する故事成語。史実性には諸説あるが、義を重んじる謙信の人物像を象徴する話として広く知られる。

「我は兵を以て戦ひを決す。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ」

現代語訳
私は武力によって戦の決着をつける。塩の流通を止めて敵を苦しめるような真似はしない。
解説・背景
「敵に塩を送る」の逸話に付随して伝わる言葉。経済的な締め付けで敵を弱らせるのではなく、正々堂々戦場で決着をつけるという武人としての矜持を表すとされる。

トリビア

  • 「上杉謙信女性説」がある。生涯独身、月に一度の腹痛(月経?)など根拠が挙げられるが、学術的には否定的。
  • 酒豪で、死因も飲酒による脳卒中と推測されている。
  • 越後の特産品・青苧(あおそ)の交易で莫大な収入を得ており、軍資金に事欠かなかった。
  • 琵琶の名手でもあり、教養人としての一面も持っていた。

歴史的議論

死因は脳卒中(脳溢血)説が有力だが、暗殺説もある。厠で倒れたという記録から、過度の飲酒と塩分摂取が原因とされる。女性説は一部の研究者が提唱しているが、主流の学説ではない。

最期

1578年3月13日、春日山城内の厠で倒れ、意識不明のまま4日後に死去。脳卒中(脳溢血)が死因と推測される。享年49。上洛を控えた矢先の急死であり、その後の「御館の乱」を引き起こした。

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よくある質問

Q. 上杉謙信の出身はどこ?

上杉謙信は越後(現在の新潟県)の出身です。

Q. 上杉謙信の代表的な戦いは?

上杉謙信は川中島の戦い、小田原城の戦い(上杉謙信)、手取川の戦いに参戦しています。

Q. 上杉謙信の異名は?

上杉謙信は「越後の龍」と呼ばれています。

Q. 上杉謙信の最期は?

1578年3月13日、春日山城内の厠で倒れ、意識不明のまま4日後に死去。脳卒中(脳溢血)が死因と推測される。享年49。上洛を控えた矢先の急死であり、その後の「御館の乱」を引き起こした。

Q. 上杉謙信の名言は?

「運は天にあり。鎧は胸にあり。手柄は足にあり」

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