川中島の戦いとは?決着がつかなかった戦い

1553年〜1564年|信濃国・川中島

30秒でわかる川中島の戦い

武田信玄と上杉謙信が、信濃北部の川中島をめぐって12年間に5回ぶつかった一連の戦いの総称です。

最も激しかったのは1561年の第四次で、両軍あわせて数千の死傷者を出したとされます。それでも決着はつかず、信玄は北信濃の支配を進め、謙信は関東・北陸へ兵を向けました。

「両雄が全力で戦っても勝ちきれない」という、この時代の東国のバランスをそのまま示した戦いです。

基本情報

戦名川中島の戦い
時期1553年〜1564年
場所信濃国・川中島
現在の場所長野県長野市南部(八幡原史跡公園・犀川と千曲川の合流点一帯)
両軍武田軍 vs 上杉軍
主な武将武田信玄上杉謙信真田昌幸山本勘助真田幸隆武田信繁 ほか
結果引き分け(痛み分け)

なぜ川中島の戦いは起きた?

武田信玄は信濃をほぼ制圧しましたが、追われた村上義清・高梨政頼らが越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼りました。

謙信にとって、信濃北部を武田に取られることは越後の喉元を押さえられることを意味します。「頼ってきた者を助ける」という名分と、越後防衛という実利が重なって出兵が続きました。

戦う直前の状況

川中島は犀川と千曲川が合流する平地で、越後から善光寺平へ抜ける道と、甲斐から北上する道が交わる場所です。ここを押さえた側が信濃北部の支配権を握ります。

両軍の顔ぶれ

武田軍

兵力
第四次で約2万

海津城を築いて前線拠点とし、長期戦の構えを取った。

上杉軍

兵力
第四次で約1万3千

越後から出兵するため、長期の対陣は国元の負担になった。

兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。

アプリで体験 布陣と武将の動きを図解

川中島の戦いを、布陣から読み解く

誰がどこで動き、どの勢力がぶつかったのか。参戦武将をタップしながら、戦いの流れと人物のつながりを追えます。

  • 1553年〜1564年
  • 信濃国・川中島
  • オフライン対応
川中島の戦いの布陣をアプリで見る Google Play で手に入れよう

戦いの流れ

  1. 第一次(1553年)布施の戦い 小規模な接触に終わる。信玄は決戦を避けた。
  2. 第二次(1555年)犀川の戦い 約200日の対陣。今川義元の仲介で和睦した。
  3. 第三次(1557年)上野原の戦い 武田が善光寺平へ進出。大きな会戦にはならなかった。
  4. 第四次(1561年)八幡原の戦い 謙信が妻女山に布陣。武田側は別働隊で背後を突く作戦(いわゆる啄木鳥戦法)を取ったとされるが、上杉軍が先に山を下りて武田本隊と正面衝突した。
  5. 第四次の後半 別働隊が戻って上杉軍を挟撃し、上杉軍が撤退。武田は信繁・諸角虎定ら重臣を失った。
  6. 第五次(1564年) 約2か月の対陣で交戦せず終了。以後、両者が川中島で戦うことはなかった。

勝敗を分けたポイント

  • 海津城の存在武田が前線に城を持ったことで、越後から出てくる上杉軍の動きを常に把握できた。
  • 第四次の霧濃霧の中で両軍が至近距離で遭遇したため、事前の作戦がそのままには機能しなかったとされる。
  • 双方に「引く理由」があった謙信は関東と北陸、信玄は駿河と西上野を抱えており、川中島だけに戦力を注ぎ続けられなかった。
広告

各武将の戦術

戦いの後どうなった?

武田は北信濃の支配を固め、以後は西上野・駿河へ矛先を移します。上杉は関東出兵と越中平定に主力を向けました。

第四次で武田信繁・山本勘助らを失ったことは、武田家中にとって小さくない損失でした。

なぜこの戦いが重要なのか

12年戦って国境がほぼ動かなかったという事実そのものが重要です。東国の二大勢力が互いを封じ合ったことで、この間に西で織田信長が台頭する時間が生まれました。

諸説・よくある誤解

信玄と謙信の一騎討ちはあった?

『甲陽軍鑑』などが伝える有名な場面ですが、同時代の確実な史料には見えず、後世の脚色とみる説が有力です。

「啄木鳥戦法」は史実?

『甲陽軍鑑』に記された作戦名です。同書は成立事情に議論があり、この作戦の実在についても慎重な見方があります。

敗北側

参戦武将

前後の出来事

この前に何が起きた? 砥石崩れ(1550年) 信玄が村上義清に大敗。信濃制圧が長引き、村上氏が越後へ逃れる原因となった。
この戦い川中島の戦い
この後どうなった? 三増峠の戦い(1569年) 北信濃が安定した武田は駿河へ侵攻し、甲相同盟が崩れて北条と戦うことになる。

関連する合戦

よくある質問

Q. 川中島の戦いとはどんな戦い?

川中島の戦いは、1553年〜1564年に信濃国・川中島で行われた合戦です。武田信玄・上杉謙信・真田昌幸・山本勘助らが戦い、結果は引き分け(痛み分け)でした。

Q. 川中島の戦いはいつ・どこで起きた?

川中島の戦いは1553年〜1564年に信濃国・川中島(長野県長野市南部(八幡原史跡公園・犀川と千曲川の合流点一帯))で起きました。

Q. 川中島の戦いの結果は?

引き分け(痛み分け)

Q. 川中島の戦いの参戦武将は?

武田信玄、上杉謙信、真田昌幸、山本勘助、真田幸隆、武田信繁、馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、高坂昌信、秋山信友が参戦しています。

参考資料

  • 史料「甲陽軍鑑」
  • 史料「妙法寺記」

APP 合戦ページの次へ

川中島の戦いを読んだら、次は登場武将の因縁へ。

川中島の戦いの勝敗や経過だけでなく、アプリでは関わった武将どうしの関係や別の合戦での動きまで横断して追えます。

  • 登場武将へ移動
  • 因縁を追える
  • 44件の合戦
川中島の戦いをアプリでたどる Google Play で入手