小田原城とは
小田原城は、北条早雲の子・氏綱以降、後北条氏5代の本拠となった城です。1561年には上杉謙信の大軍による攻撃を退け、難攻不落の名城として知られました。しかし1590年、豊臣秀吉による小田原征伐(20万を超える大軍による包囲)を受けて開城し、後北条氏は滅亡しました。
北条氏の本拠 〜 開城 1590年
| 城名 | 小田原城 |
|---|---|
| 所在地 | 相模国・小田原(現・神奈川県小田原市) |
| 主な城主 | 北条氏康 |
| 最期 | 1590年、豊臣秀吉の小田原征伐で開城、後北条氏は滅亡 |
小田原城は、北条早雲の子・氏綱以降、後北条氏5代の本拠となった城です。1561年には上杉謙信の大軍による攻撃を退け、難攻不落の名城として知られました。しかし1590年、豊臣秀吉による小田原征伐(20万を超える大軍による包囲)を受けて開城し、後北条氏は滅亡しました。
居城とした人物とは異なり、攻め手として関わった武将です。
北条氏5代当主として小田原城に拠ったが、天正18年(1590年)の小田原合戦で豊臣秀吉に降伏。自身の切腹と引き換えに城兵の助命を願い出て開城し、高野山に追放された。
父・氏康から家督を継ぎ、上杉謙信・武田信玄の攻撃を退けた難攻不落の居城として君臨。1590年の豊臣秀吉による小田原攻めで開城・降伏し、氏政は開城後に城下の田村安斎邸で切腹したと伝わる。
天正18年(1590年)の小田原合戦後、徳川家康の関東入封に伴い4万5千石で小田原城主となり、暴れ川であった酒匂川の治水にも尽力した。
1561年の上杉謙信の攻撃は撃退しましたが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐では20万を超える大軍に包囲され、後北条氏は開城・滅亡しました。