陸奥国はどんな土地だったのか
会津盆地は蘆名氏が治め、黒川城(のちの会津若松城)を本拠としました。中通りには二階堂・田村・畠山(二本松)、浜通りには相馬・岩城といった領主が並びます。
伊達氏の本貫地である伊達郡もここにあります。政宗は1585年の人取橋、1589年の摺上原と戦い、蘆名氏を滅ぼして会津を手に入れました。
1590年の奥州仕置で会津は蒲生氏郷へ、のちに上杉景勝へ与えられます。関ヶ原の直接の引き金となった徳川家康の会津征伐も、この地をめぐるものでした。
現在の福島県域は陸奥国の南端で、会津・中通り・浜通りという三つの地形にそれぞれ別の勢力がありました。伊達政宗が南へ伸びるとき、最初にぶつかったのがこの土地です。
陸奥国の南端部。会津・中通り・浜通りに分かれる。
会津盆地は蘆名氏が治め、黒川城(のちの会津若松城)を本拠としました。中通りには二階堂・田村・畠山(二本松)、浜通りには相馬・岩城といった領主が並びます。
伊達氏の本貫地である伊達郡もここにあります。政宗は1585年の人取橋、1589年の摺上原と戦い、蘆名氏を滅ぼして会津を手に入れました。
1590年の奥州仕置で会津は蒲生氏郷へ、のちに上杉景勝へ与えられます。関ヶ原の直接の引き金となった徳川家康の会津征伐も、この地をめぐるものでした。
会津の名門。当主が相次いで死去し、佐竹から養子を迎えたのち摺上原で滅んだ。
伊達郡が本貫地。政宗が南奥州へ進出する起点となった。
浜通りの領主。伊達と争いつつ、豊臣・徳川の下で家を存続させた。

伊達の先鋒
伊達政宗の側近で、伊達二十四将の一人。政宗の初期の合戦で先鋒を務め、摺上原の戦いなどで活躍した。

会津の裏切り者
元は蘆名家臣で猪苗代城主。摺上原の戦いに先立ち伊達政宗に寝返り、蘆名氏の滅亡を決定的にした。

伊達の守護
伊達晴宗の子で石川氏養子。政宗の叔父として一門衆に列し、伊達二十四将の一人に数えられる。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
伊達の先鋒
1565〜1593/陸奥国の出身/伊達氏の武将
会津の裏切り者
1536〜1600/陸奥国の出身/伊達氏の大名
伊達の守護
1550〜1622/陸奥国の出身/伊達氏の大名
伊達の宿老
1549〜1608/陸奥国の出身/伊達氏の武将
氏郷の入城 1590年
福島県
1602年 片倉家拝領
宮城県(陸奥国)
伊達成実、生誕の城
福島県(陸奥国)
1602年、伊達成実が入城
宮城県(陸奥国)
建久2年(1191)頃築城~1868年焼失
福島県
平安時代後期築城~天正18年(1590)廃城
福島県
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。