大崎合戦とは?決着がつかなかった戦い

1588年|陸奥国・大崎領

30秒でわかる大崎合戦

伊達政宗が大崎氏の内紛に介入して出兵し、逆に大崎方と最上義光の介入によって撤退を余儀なくされた戦いです。

伊達方の留守政景・泉田重光らが中新田城攻めで大雪に遭って敗れ、政宗は伯母にあたる最上義光の妹・義姫の仲介で兵を退きました。

摺上原の前年にあたり、政宗の拡大が常に順調だったわけではないことを示す一戦です。

基本情報

戦名大崎合戦
時期1588年
場所陸奥国・大崎領
現在の場所宮城県加美町・大崎市(中新田城跡・新沼柵跡周辺)
両軍伊達軍 vs 大崎軍
主な武将伊達政宗最上義光
結果引き分け(伊達軍撤退)

なぜ大崎合戦は起きた?

奥州探題の家柄である大崎義隆の家中で内紛が起きました。重臣の氏家吉継が政宗に支援を求めます。

政宗は大崎領への影響力を広げる好機とみて出兵しました。

戦う直前の状況

政宗自身は出陣せず、留守政景・泉田重光を将として1万余を派遣しました。時季は冬で、雪の中の行軍になります。

両軍の顔ぶれ

伊達軍

主な指揮
留守政景・泉田重光・浜田景隆
兵力
約1万

政宗本人は出陣せず、冬季の遠征になった。

大崎軍

主な指揮
大崎義隆・黒川晴氏
兵力
不明

当初伊達方だった黒川晴氏が大崎方へ寝返り、形勢が変わった。

兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。

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戦いの流れ

  1. 氏家吉継の要請 大崎家中の内紛で、氏家吉継が伊達へ支援を求める。
  2. 伊達軍の出兵(1588年1月) 留守政景・泉田重光が大崎領へ侵攻する。
  3. 中新田城の攻撃と大雪(2月2日) 中新田城を攻めるさなかに大雪となり、伊達方だった黒川晴氏が大崎方へ寝返って背後を突いた。
  4. 新沼城での孤立 退路を断たれた伊達軍が新沼城に籠もり、包囲される。
  5. 最上義光の介入 最上義光が大崎方に加勢する構えを見せ、伊達は二正面を抱えた。
  6. 和睦・撤退(5月〜) 5月に政宗の母・義姫(義光の妹)が戦場へ赴いて和睦を仲介。伊達軍は囲みを解かれて撤退し、泉田重光は7月に人質として山形へ送られた。

勝敗を分けたポイント

  • 冬季の遠征だった大雪で行軍と補給が滞り、包囲されたときに動けなくなった。
  • 味方の寝返り黒川晴氏の離反が、攻める側から囲まれる側への逆転を招いた。
  • 外交で収めた軍事的には不利だったが、母・義姫を介した最上との交渉で全滅を避けた。
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各武将の戦術

戦いの後どうなった?

政宗は大崎への影響力拡大に失敗しますが、翌1589年に摺上原で蘆名氏を破り、南へ勢力を伸ばします。

大崎氏・葛西氏は1590年の奥州仕置で改易され、旧領で葛西大崎一揆が起きました。政宗が一揆を煽ったという嫌疑をかけられます。

なぜこの戦いが重要なのか

政宗の勢力拡大が、周辺勢力の連携と季節条件で簡単に止まりうることを示した戦いです。奥州の大名同士の関係が、血縁と外交で複雑に絡み合っていたこともよく表れています。

敗北側

参戦武将

前後の出来事

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よくある質問

Q. 大崎合戦とはどんな戦い?

大崎合戦は、1588年に陸奥国・大崎領で行われた合戦です。伊達政宗・最上義光が戦い、結果は引き分け(伊達軍撤退)でした。

Q. 大崎合戦はいつ・どこで起きた?

大崎合戦は1588年に陸奥国・大崎領(宮城県加美町・大崎市(中新田城跡・新沼柵跡周辺))で起きました。

Q. 大崎合戦の結果は?

引き分け(伊達軍撤退)

Q. 大崎合戦の参戦武将は?

伊達政宗、最上義光が参戦しています。

参考資料

  • 史料「伊達治家記録」
  • 史料「性山公治家記録」

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