なぜ大崎合戦は起きた?
奥州探題の家柄である大崎義隆の家中で内紛が起きました。重臣の氏家吉継が政宗に支援を求めます。
政宗は大崎領への影響力を広げる好機とみて出兵しました。
戦う直前の状況
政宗自身は出陣せず、留守政景・泉田重光を将として1万余を派遣しました。時季は冬で、雪の中の行軍になります。
1588年|陸奥国・大崎領
伊達政宗が大崎氏の内紛に介入して出兵し、逆に大崎方と最上義光の介入によって撤退を余儀なくされた戦いです。
伊達方の留守政景・泉田重光らが中新田城攻めで大雪に遭って敗れ、政宗は伯母にあたる最上義光の妹・義姫の仲介で兵を退きました。
摺上原の前年にあたり、政宗の拡大が常に順調だったわけではないことを示す一戦です。
| 戦名 | 大崎合戦 |
|---|---|
| 時期 | 1588年 |
| 場所 | 陸奥国・大崎領 |
| 現在の場所 | 宮城県加美町・大崎市(中新田城跡・新沼柵跡周辺) |
| 両軍 | 伊達軍 vs 大崎軍 |
| 主な武将 | 伊達政宗、最上義光 |
| 結果 | 引き分け(伊達軍撤退) |
奥州探題の家柄である大崎義隆の家中で内紛が起きました。重臣の氏家吉継が政宗に支援を求めます。
政宗は大崎領への影響力を広げる好機とみて出兵しました。
政宗自身は出陣せず、留守政景・泉田重光を将として1万余を派遣しました。時季は冬で、雪の中の行軍になります。
兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。
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誰がどこで動き、どの勢力がぶつかったのか。参戦武将をタップしながら、戦いの流れと人物のつながりを追えます。
1588年
政宗は大崎への影響力拡大に失敗しますが、翌1589年に摺上原で蘆名氏を破り、南へ勢力を伸ばします。
大崎氏・葛西氏は1590年の奥州仕置で改易され、旧領で葛西大崎一揆が起きました。政宗が一揆を煽ったという嫌疑をかけられます。
政宗の勢力拡大が、周辺勢力の連携と季節条件で簡単に止まりうることを示した戦いです。奥州の大名同士の関係が、血縁と外交で複雑に絡み合っていたこともよく表れています。
大崎合戦は、1588年に陸奥国・大崎領で行われた合戦です。伊達政宗・最上義光が戦い、結果は引き分け(伊達軍撤退)でした。
大崎合戦は1588年に陸奥国・大崎領(宮城県加美町・大崎市(中新田城跡・新沼柵跡周辺))で起きました。
引き分け(伊達軍撤退)
伊達政宗、最上義光が参戦しています。