三芦城

平安時代後期築城~天正18年(1590)廃城

城名三芦城(石川城)
所在地福島県石川郡石川町下泉
築城平安時代後期、石川有光
主な城主陸奥石川氏(石川昭光など)
現状廃城、土塁・空堀の一部が残存

三芦城とは

三芦城は阿武隈川の支流・泉郷川沿いに築かれた城で、清和源氏の流れをくむ石川有光が平安時代後期にこの地へ入り築いたと伝わる。以後、陸奥石川氏歴代の居城として500年近くにわたり石川郡一帯を治める拠点となった。

石川昭光は養父・石川晴光の跡を継いで三芦城主となり、当初は佐竹氏と結び(時に蘆名氏とも緊張関係を抱えつつ)伊達氏と対峙したが、天正17年(1589)の摺上原の戦いで蘆名氏が没落すると伊達政宗に服属した。

しかし天正18年(1590)の小田原征伐に参陣しなかったことを理由に豊臣秀吉の奥州仕置で改易され、三芦城は廃城となった。昭光自身は伊達家臣として存続を許され、後年は陸奥角田城主として生涯を終えている。

平安時代後期 清和源氏の流れをくむ石川有光が三芦城を築き、陸奥石川氏の祖となる
16世紀後半 石川昭光が家督を継ぎ、蘆名・佐竹氏と結んで伊達氏と対峙する
1589年 摺上原の戦いで蘆名氏が敗れると、昭光は伊達政宗に服属する
1590年 小田原参陣を怠ったことを理由に豊臣秀吉から改易され、三芦城は廃城となる
1598年 昭光は伊達家家臣として陸奥角田城主となる(慶長8年に隠居し、元和8年(1622)7月10日、角田城にて73歳で没する)
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陸奥石川氏歴代の居城

石川昭光は養父の跡を継いで三芦城主となり、伊達・蘆名・佐竹の間で勢力を保ったが、小田原不参陣により改易され廃城となった。

よくある質問

Q. 三芦城はどこにありましたか?

現在の福島県石川郡石川町下泉、阿武隈川支流の泉郷川沿いにあり、陸奥石川氏の歴代居城でした。

Q. 石川昭光はなぜ三芦城を失ったのですか?

天正18年(1590)の小田原征伐に参陣しなかったことを理由に豊臣秀吉から改易処分を受け、三芦城は廃城となりました。

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