常陸国・下総国はどんな土地だったのか
佐竹氏は常陸北部の太田城を本拠とし、常陸統一に長い時間をかけました。義重・義宣の代に県域の大半を押さえます。
南からは北条氏、北からは伊達氏の圧力を受け続けました。人取橋の戦い(1585年)では南奥州の諸勢力を率いて伊達政宗と戦っています。
豊臣政権下では54万石を安堵されますが、関ヶ原で去就を明確にしなかったため、戦後に出羽秋田へ減転封されました。
常陸国の佐竹氏は、源氏の流れをくむ関東の名門です。北条氏の関東制覇に最後まで抵抗し、伊達政宗の南下も食い止めました。
現在の茨城県の大部分。佐竹氏の本国。
県南西部。結城氏などがいた。
佐竹氏は常陸北部の太田城を本拠とし、常陸統一に長い時間をかけました。義重・義宣の代に県域の大半を押さえます。
南からは北条氏、北からは伊達氏の圧力を受け続けました。人取橋の戦い(1585年)では南奥州の諸勢力を率いて伊達政宗と戦っています。
豊臣政権下では54万石を安堵されますが、関ヶ原で去就を明確にしなかったため、戦後に出羽秋田へ減転封されました。

律義者
佐竹義重の嫡男。関ヶ原の戦いでは西軍に属したが積極的に戦わず、戦後は常陸54万石から出羽久保田20万石に減転封された。

鬼義重
常陸国の戦国大名。「鬼義重」と恐れられた猛将で、関東において北条氏と長年対峙。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。