三方ヶ原の戦いとは?武田信玄が徳川家康を破った戦い

元亀3年12月(1573年1月)|遠江国・三方ヶ原

30秒でわかる三方ヶ原の戦い

西上を開始した武田信玄が、浜松城の徳川家康を野戦に引きずり出して撃破した戦いです。

家康は籠城すべきという声を退けて出撃し、鶴翼の陣で武田の魚鱗の陣に挑みますが、2時間ほどで壊滅しました。夏目吉信ら多くの家臣が家康の身代わりとなって討たれています。

家康の生涯で最大の敗戦であり、その後の慎重な用兵の原点になったと語られます。

基本情報

戦名三方ヶ原の戦い
時期元亀3年12月(1573年1月)
場所遠江国・三方ヶ原
現在の場所静岡県浜松市中央区三方原町周辺
両軍武田軍 vs 徳川・織田連合軍
主な武将武田信玄徳川家康本多忠勝酒井忠次服部半蔵山県昌景 ほか
結果武田軍の圧勝

なぜ三方ヶ原の戦いは起きた?

1572年10月、武田信玄が2万5千を率いて甲斐を出発しました。将軍・足利義昭の呼びかけによる信長包囲網の一環で、目標は上洛または織田領への圧迫だったとされます(信玄の最終目的については議論があります)。

徳川家康は織田信長の同盟者として、この進路上に立っていました。

戦う直前の状況

武田軍は二俣城を落とし、浜松城へ迫ります。ところが城を攻めず、目の前を素通りして三方ヶ原台地を西へ進みました。家康の兵は約8千(織田からの援軍3千を含む)で、武田軍の三分の一です。

両軍の顔ぶれ

武田軍

兵力
2万5千〜3万(諸説あり)

台地上で家康を待ち受け、魚鱗の陣を敷いた。

徳川・織田連合軍

主な指揮
徳川家康・佐久間信盛・平手汎秀
兵力
約1万1千(徳川8千・織田3千。諸説あり)

数で劣るまま野戦に応じた。

兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。

アプリで体験 布陣と武将の動きを図解

三方ヶ原の戦いを、布陣から読み解く

誰がどこで動き、どの勢力がぶつかったのか。参戦武将をタップしながら、戦いの流れと人物のつながりを追えます。

  • 元亀3年12月(1573年1月)
  • 遠江国・三方ヶ原
  • オフライン対応
三方ヶ原の戦いの布陣をアプリで見る Google Play で手に入れよう

戦いの流れ

  1. 武田軍の西上(10月) 信玄が甲斐を出発。遠江・三河へ侵攻する。
  2. 二俣城の陥落(12月) 水の手を断たれた二俣城が開城。浜松城への道が開く。
  3. 武田軍の素通り(12月22日) 武田軍が浜松城を攻めず、三方ヶ原へ向かって進んだ。
  4. 家康の出撃 家康は籠城案を退けて出陣。「領内を素通りされて黙っていては家臣も国人も離れる」という判断だったとされる。
  5. 会戦 台地上で武田軍が反転し、待ち構えていた陣形で徳川軍を包み込んだ。徳川軍は2時間ほどで崩れる。
  6. 浜松城への退却 家康は少数の供と城へ逃げ帰った。城門を開いたまま篝火を焚いた「空城の計」の逸話が伝わる。

勝敗を分けたポイント

  • 素通りが誘い出しだった浜松城を攻めず通り過ぎることで、家康が出てこざるを得ない状況を作った。
  • 陣形と地形武田軍は先に台地上で布陣を終えており、あとから登ってきた徳川軍は展開する時間がなかった。
  • 家臣の犠牲夏目吉信・鈴木久三郎らが家康の身代わりを務めたことで、総大将だけは失われなかった。
広告

各武将の戦術

戦いの後どうなった?

武田軍は野田城を落としますが、信玄の病状が悪化し、1573年4月に信濃駒場で死去します。武田軍は撤退し、西上作戦は未完に終わりました。

家康は敗戦後も浜松を保ち、信玄の死後は徐々に武田領へ逆襲していきます。1575年の長篠で立場が逆転しました。

なぜこの戦いが重要なのか

信長包囲網が最も機能した瞬間でした。もし信玄が病に倒れなければ、織田・徳川は東西から挟撃されていた可能性があります。歴史が「人ひとりの寿命」で変わった例としてよく引かれます。

諸説・よくある誤解

「顰像(しかみ像)」は三方ヶ原の後に描かせた?

敗戦を戒めるため家康が自らの姿を描かせたと語られてきましたが、この由来は近代以降に広まったもので、根拠となる同時代史料は確認されていません。

勝利側

敗北側

参戦武将

前後の出来事

関連する合戦

よくある質問

Q. 三方ヶ原の戦いとはどんな戦い?

三方ヶ原の戦いは、元亀3年12月(1573年1月)に遠江国・三方ヶ原で行われた合戦です。武田信玄・徳川家康・本多忠勝・酒井忠次らが戦い、結果は武田軍の圧勝でした。

Q. 三方ヶ原の戦いはいつ・どこで起きた?

三方ヶ原の戦いは元亀3年12月(1573年1月)に遠江国・三方ヶ原(静岡県浜松市中央区三方原町周辺)で起きました。

Q. 三方ヶ原の戦いの結果は?

武田軍の圧勝

Q. 三方ヶ原の戦いの参戦武将は?

武田信玄、徳川家康、本多忠勝、酒井忠次、服部半蔵、山県昌景、馬場信春、大久保忠世が参戦しています。

参考資料

  • 史料「三河物語」
  • 史料「甲陽軍鑑」

APP 合戦ページの次へ

三方ヶ原の戦いを読んだら、次は登場武将の因縁へ。

三方ヶ原の戦いの勝敗や経過だけでなく、アプリでは関わった武将どうしの関係や別の合戦での動きまで横断して追えます。

  • 登場武将へ移動
  • 因縁を追える
  • 44件の合戦
三方ヶ原の戦いをアプリでたどる Google Play で入手