徳川家康の家臣一覧|徳川を支えた武将と参謀

徳川家康

東照大権現 — 徳川の天下人

徳川家康の家臣団は、三河以来の譜代を核とし、そこへ旧武田・旧今川・旧北条の遺臣を組み込んで作られました。

三河譜代の結束は「三河武士」と呼ばれるほど強く、家康が三方ヶ原の大敗や伊賀越えを生き延びられたのはこの層があったためです。

「徳川四天王」(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)という括りが知られますが、これも後世にまとめられた呼称です。

徳川家康の家臣団とは

徳川家臣団の特徴は、譜代の忠誠と、外様の能力を分けて使ったことにあります。

軍事の中核は三河譜代が担いました。一方、武田の遺臣は井伊直政に付けられて「赤備え」となり、武田の戦い方と築城技術がそのまま徳川軍に引き継がれます。

行政面では、本多正信のように一度出奔して戻った者や、旧敵方の実務家も登用されました。関東移封後の江戸の町割り・治水では、こうした人材が働いています。

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家臣団はどう構成されていた?(全9人)

徳川四天王4人

後世に「徳川四天王」と呼ばれた4人。軍事の中核を担った。

三河以来の譜代2人

松平家の時代から仕えた家。人質時代から家康を支え続けた層。

謀臣・行政を担った家臣1人

戦場よりも交渉と統治で家康を支えた。

井伊家と武田遺臣1人

遠江井伊谷の井伊家。直虎が家を守り、直政が武田の遺臣を率いる「赤備え」を任された。

徳川のもとで大名となった人物1人

徳川に仕えたのち、独立した大名として取り立てられた人々。

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この家臣団が戦った主な合戦

家臣団はその後どうなった?

関ヶ原の後、徳川家臣団はそのまま江戸幕府の統治機構へ移行しました。譜代大名として全国の要地に配置され、外様大名を牽制する役割を担います。

井伊家は彦根に置かれ、譜代筆頭として幕末まで大老を出し続けました。本多・榊原・酒井の各家も譜代大名として存続します。

戦国大名の家臣団がそのまま近世の統治機構になった例は、徳川以外にありません。

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