播磨国・但馬国ほかはどんな土地だったのか
播磨には赤松氏の流れをくむ小豪族が多く、統一した大名がいませんでした。別所氏・小寺氏・赤松氏らが並立し、東の織田と西の毛利の間で去就を迫られます。
小寺氏の家臣だった黒田官兵衛は早くから信長に通じ、姫路城を秀吉に提供しました。一方、別所長治は織田から離反して三木城に籠もり、2年に及ぶ兵糧攻めの末に降伏します。
播磨を平定した秀吉は姫路城を本拠として中国攻めを進めました。本能寺の変を知って中国大返しを行ったときも、姫路城で軍を立て直しています。
播磨国は畿内と中国地方の境目で、羽柴秀吉の中国攻めはここから始まりました。三木城の兵糧攻め、姫路城の築城——秀吉の戦い方の型が固まった土地です。
現在の兵庫県南西部。姫路城がある。
現在の兵庫県北部。山名氏の国で、生野銀山があった。
県南東部。大阪府北部と一体の国。
淡路島。瀬戸内海の要衝。
播磨には赤松氏の流れをくむ小豪族が多く、統一した大名がいませんでした。別所氏・小寺氏・赤松氏らが並立し、東の織田と西の毛利の間で去就を迫られます。
小寺氏の家臣だった黒田官兵衛は早くから信長に通じ、姫路城を秀吉に提供しました。一方、別所長治は織田から離反して三木城に籠もり、2年に及ぶ兵糧攻めの末に降伏します。
播磨を平定した秀吉は姫路城を本拠として中国攻めを進めました。本能寺の変を知って中国大返しを行ったときも、姫路城で軍を立て直しています。
小寺氏の家老から秀吉の参謀へ。官兵衛・長政の父子で知られる。
三木城主。織田から離反し、2年の籠城の末に長治が自害した。
播磨・但馬の守護大名。応仁の乱の東西両軍の中核だったが、戦国期には勢力を失った。

豊臣の知恵袋
秀吉の軍師。中国大返し、四国・九州征伐など数々の戦いで知略を発揮。

筑前52万石
黒田官兵衛の嫡男。関ヶ原の戦いでは東軍の切り崩し工作で最大の功績を挙げ、筑前福岡藩初代藩主となる。

大坂五人衆
黒田家に仕えた猛将。黒田長政との不和により浪人となるが、大坂の陣で豊臣方に参じ「大坂五人衆」の一人に。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
豊臣の知恵袋
1546〜1604/播磨国の出身/豊臣氏の軍師
筑前52万石
1568〜1623/播磨国の出身/豊臣氏の大名
大坂五人衆
1560〜1615/播磨国の出身/豊臣氏の武将
内膳正
1562〜不詳/播磨国の出身/豊臣氏の武将
秀吉による改修 1580年
兵庫県
小寺氏代々の居城
兵庫県
有岡城の戦い 1578年〜1579年
兵庫県
天下普請により完成 慶長14年(1609年)
兵庫県(丹波国)
秀長による攻略 1580年
兵庫県(但馬国)
室町後期築城/天正8年(1580)蜂須賀正勝入城
兵庫県
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。