龍野城

室町後期築城/天正8年(1580)蜂須賀正勝入城

城名龍野城
所在地兵庫県たつの市
城主在任天正8年(1580年)~天正13年(1585年)ごろ、蜂須賀正勝が城主
主な城主蜂須賀正勝
現状本丸御殿・櫓・門などが1979年に再建され、たつの市のシンボルとなっている。山頂の古城跡には野面積みの石垣が一部現存する。

龍野城とは

龍野城は鶏籠山を中心とした山城「龍野古城」を前身とし、室町時代に赤松村秀によって築かれたと伝わる。天正5年(1577年)、羽柴秀吉の播磨侵攻によって開城し、以後は秀吉配下の武将が城主を歴任した。

天正8年(1580年)頃、秀吉の股肱の臣であった蜂須賀正勝(小六)が龍野城主となり、播磨支配と中国攻めの拠点とした。天正13年(1585年)の四国平定後、正勝は阿波一国を与えられる話を辞退して子・家政に譲り、自身は秀吉の側近として大坂で過ごし、天正14年(1586年)に没した。家政が阿波徳島へ転封した後は木下勝俊らが城主を継いだ。江戸時代には脇坂氏が入封し、現在に残る近世城郭の姿に整えられた。

室町時代 赤松村秀が鶏籠山に龍野古城(霞城)を築いたと伝わる。
1577年 羽柴秀吉の播磨侵攻により開城。
1580年 蜂須賀正勝が龍野城主となる。
1585年 四国平定後、正勝は阿波拝領を固辞し子・家政に家督を譲る。正勝は大坂で秀吉に近侍。
1586年 蜂須賀正勝、没する。
1672年 脇坂安政が入封。
1979年 本丸御殿などが復元される。
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ゆかりの武将

龍野城主・蜂須賀正勝

羽柴秀吉の重臣として播磨支配の拠点とした

よくある質問

Q. 蜂須賀正勝はいつまで龍野城主でしたか?

天正8年(1580年)頃から天正13年(1585年)の四国平定・阿波転封まで城主を務めたとされる。

Q. 龍野城は今も見学できますか?

1979年に本丸御殿・櫓・門などが再建され、たつの市のシンボルとして公開されている。山頂の古城跡には往時の石垣も一部残る。

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