月山富田城

尼子氏代々の本拠

城名月山富田城
所在地出雲国・富田(現・島根県安来市広瀬町富田)
築城/入城など築城時期は不詳。1486年(文明18年)に尼子経久が実権を握って以降、尼子氏代々の居城となる
主な城主尼子経久・尼子晴久ら歴代尼子氏当主(山中鹿介幸盛はこの地に生まれたと伝わり、落城後も城の奪還に生涯を捧げた)
現状国指定史跡・日本100名城。石垣や曲輪跡が残り、本丸跡には山中鹿介幸盛の記念碑が建つ

月山富田城とは

月山富田城は、出雲国を本拠とした尼子氏代々の居城です。1486年に尼子経久が実権を握ると戦国大名として勢力を拡大し、孫の晴久の代には山陰・山陽八ヶ国の太守と称されるまでになりました。天然の要害を利用した難攻不落の山城として知られます。

山中鹿介幸盛は、この月山富田城の城下に生まれたと伝わります。1565~66年、毛利元就による長期の攻囲の末に月山富田城が開城し尼子氏が滅亡すると、鹿介は主家再興を誓い、「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈ったという逸話で知られます。1569年には尼子勝久を擁する再興軍を率いて出雲に上陸し、一時は月山富田城を包囲して城将を降伏させましたが、受け取りの際に謀られて奪還はならず、翌1570年には布部山の戦いで毛利軍に敗れ再興は潰えました。

1486年 尼子経久が実権を握り、月山富田城を拠点に尼子氏を戦国大名化
1545年頃 山中鹿介幸盛、月山富田城下に生まれたと伝わる
1565~66年 毛利元就の攻囲の末に月山富田城が開城し、尼子氏が滅亡
1569年 尼子再興軍を率いる山中鹿介幸盛が月山富田城を包囲し、城将を一時降伏させるも奪還はならず
1570年 布部山の戦いで毛利軍に敗れ、尼子再興軍による城の奪還は失敗に終わる
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ゆかりの武将

この城にゆかりのある人物

山中鹿介幸盛は尼子氏の家臣であり、月山富田城の城主そのものではない

尼子氏を中国地方随一の大名へ押し上げた居城

1479年に出雲守護代として月山富田城に入城。一時は追放されるも謀略により奪還し、以後この城を拠点に山陰・山陽11ヶ国に勢力を広げる尼子氏繁栄の礎を築いた。

出雲入封後、月山富田城主として在城

1591年に出雲・伯耆・隠岐を拝領して月山富田城に入城し、関ヶ原の戦い後の1600年に岩国へ転封となるまで城主を務めた。

よくある質問

Q. 山中鹿介と月山富田城の関係は?

鹿介はこの城下に生まれたと伝わり、尼子氏滅亡後は主家再興を誓ってこの城の奪還を目指し、生涯を戦いに捧げました。

Q. 山中鹿介は月山富田城主だったの?

いいえ、城主ではなく尼子氏の家臣です。1569年に一時城を包囲して奪還寸前まで迫りましたが、最終的には果たせませんでした。

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