尼子氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

尼子氏を30秒で

尼子氏は出雲守護代の家柄から出て、経久の代に主家を追って国を掌握しました。

月山富田城を本拠に山陰・山陽へ勢力を広げ、最大で11か国に影響を及ぼしたとされます。石見銀山の争奪でも大内・毛利と争いました。

1566年、毛利元就の1年以上に及ぶ兵糧攻めで月山富田城が開城し、戦国大名としての尼子氏は滅びます。

本拠と領域

出雲国(月山富田城)

歴代当主

  1. 尼子経久のAI生成イメージ 尼子経久 〜1541年 守護代から国主へ。山陰・山陽に版図を広げた。
  2. 尼子晴久 1541年〜1560年 毛利の吉田郡山城を攻めて失敗。新宮党を粛清して家中の力を削いだ。
  3. 尼子義久 1560年〜1566年 最後の当主。月山富田城の開城後、毛利のもとで生涯を終えた。

どのように勢力を広げた?

経久は謀略と国人衆の取り込みで勢力を広げました。月山富田城という堅城を本拠としたことも、長期にわたる支配を可能にしています。

石見銀山の支配は財政面で大きく、大内・毛利との争奪が繰り返されました。

最盛期

経久晩年の1530年代が最盛期です。ただし支配は国人衆の連合に近く、当主の権威が揺らぐと結束が緩む構造でした。

主な合戦

他勢力との関係

大内氏
石見銀山と安芸をめぐる長年の対立相手。
毛利氏
当初は尼子方だったが離反。最終的に毛利に滅ぼされた。
織田氏
尼子再興軍が信長を頼り、上月城に入った。
広告

衰退・その後

晴久による新宮党(尼子国久ら一族の軍事集団)の粛清が、軍事力と家中の結束を弱めたとされます。

毛利元就は支城を先に落として月山富田城を孤立させ、1年以上の兵糧攻めで開城させました。

山中鹿介らが尼子勝久を擁して再興を図り、織田信長を頼って上月城に入りますが、1578年に毛利に敗れて運動は終わります。

尼子氏に属した武将(3人)

APP 勢力ページの次へ

尼子氏で見比べたら、次は人物どうしのつながりへ。

勢力ごとの顔ぶれを見たあと、アプリでは各武将の関係図や関わった合戦まで自然につなげて読めます。

  • 勢力から人物へ
  • 214人の武将
  • 44件の合戦
  • オフライン対応
尼子氏をアプリで追う Google Play で入手