北条氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

北条氏を30秒で

北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆を奪い、相模の小田原城を手に入れたことから始まる家です。鎌倉時代の執権北条氏とは別系統で、後北条氏とも呼ばれます。

氏綱・氏康の代に武蔵・下総へ広がり、河越城の戦いで両上杉氏を没落させて関東の主導権を握りました。

検地・税制・訴訟の仕組みを整えた統治で知られますが、豊臣政権への臣従を先延ばしにした結果、1590年の小田原征伐で滅びました。

本拠と領域

伊豆国(韮山城)→相模国(小田原城)

歴代当主

  1. 北条早雲(伊勢宗瑞) 〜1518年 伊豆・相模を奪い、後北条氏の礎を築いた。1518年に家督を氏綱へ譲り、翌1519年に韮山城で没した。
  2. 北条氏綱 1518年〜1541年 「北条」を名乗り始めた。武蔵へ進出し、江戸城・河越城を得た。
  3. 北条氏康のAI生成イメージ 北条氏康 1541年〜1571年 河越夜戦で両上杉を破り、関東の覇権を確立。内政家としても評価が高い。
  4. 北条氏政のAI生成イメージ 北条氏政 1571年〜1580年 最大版図を築いたが、豊臣への臣従を遅らせた。小田原開城後に切腹。
  5. 北条氏直のAI生成イメージ 北条氏直 1580年〜1590年 最後の当主。開城後に高野山へ追放され、翌年に病没した。

どのように勢力を広げた?

北条氏の拡大は、軍事と統治をセットで進めた点に特徴があります。占領地には一族を配して支城網を築き(小田原・八王子・鉢形・岩付・韮山)、検地で年貢を四公六民に定めました。

訴訟を受け付ける仕組みや、飢饉時の徳政など、領民の支持を得る施策も行っています。長期にわたる支配を可能にしたのは、この統治の安定でした。

対外的には甲相駿三国同盟で背後を固め、関東の切り取りに集中しています。

最盛期

1580年代後半、氏政・氏直の代が最大版図です。相模・伊豆・武蔵・上総・下総・上野・下野の一部に及び、動員兵力は5万を超えました。

主な合戦

他勢力との関係

上杉氏
関東管領を継いだ謙信と長く対立。小田原城を包囲されたが防ぎ切った。
武田氏
三国同盟の相手。駿河侵攻で断交して三増峠で戦い、のちに再同盟した。
里見氏
房総で争い続けた相手。国府台で二度戦った。
豊臣氏
当初は従属的な講和を結んだが、上洛を先延ばしにし、名胡桃城事件を機に討伐された。
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衰退・その後

1590年の小田原征伐では、秀吉が20万余を動員し、山中城をはじめとする支城を個別に落として小田原を孤立させました。籠城3か月で開城します。

氏政・氏照は切腹、氏直は高野山へ追放。五代100年の関東支配が終わりました。旧領には徳川家康が移封されます。

なお氏直の弟・氏規の系統は江戸時代に狭山藩主として存続しました。

北条氏に属した武将(7人)

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