どのように勢力を広げた?
北条氏の拡大は、軍事と統治をセットで進めた点に特徴があります。占領地には一族を配して支城網を築き(小田原・八王子・鉢形・岩付・韮山)、検地で年貢を四公六民に定めました。
訴訟を受け付ける仕組みや、飢饉時の徳政など、領民の支持を得る施策も行っています。長期にわたる支配を可能にしたのは、この統治の安定でした。
対外的には甲相駿三国同盟で背後を固め、関東の切り取りに集中しています。
北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆を奪い、相模の小田原城を手に入れたことから始まる家です。鎌倉時代の執権北条氏とは別系統で、後北条氏とも呼ばれます。
氏綱・氏康の代に武蔵・下総へ広がり、河越城の戦いで両上杉氏を没落させて関東の主導権を握りました。
検地・税制・訴訟の仕組みを整えた統治で知られますが、豊臣政権への臣従を先延ばしにした結果、1590年の小田原征伐で滅びました。
伊豆国(韮山城)→相模国(小田原城)
北条氏康
1541年〜1571年
河越夜戦で両上杉を破り、関東の覇権を確立。内政家としても評価が高い。
北条氏政
1571年〜1580年
最大版図を築いたが、豊臣への臣従を遅らせた。小田原開城後に切腹。
北条氏直
1580年〜1590年
最後の当主。開城後に高野山へ追放され、翌年に病没した。
北条氏の拡大は、軍事と統治をセットで進めた点に特徴があります。占領地には一族を配して支城網を築き(小田原・八王子・鉢形・岩付・韮山)、検地で年貢を四公六民に定めました。
訴訟を受け付ける仕組みや、飢饉時の徳政など、領民の支持を得る施策も行っています。長期にわたる支配を可能にしたのは、この統治の安定でした。
対外的には甲相駿三国同盟で背後を固め、関東の切り取りに集中しています。
1580年代後半、氏政・氏直の代が最大版図です。相模・伊豆・武蔵・上総・下総・上野・下野の一部に及び、動員兵力は5万を超えました。
1546年4月
武蔵国・河越城
1561年3月
相模国・小田原城
1564年1月
下総国・国府台
1569年10月
相模国・三増峠
1582年6月〜10月
甲斐国・信濃国
1582年6月
上野国・神流川
1590年の小田原征伐では、秀吉が20万余を動員し、山中城をはじめとする支城を個別に落として小田原を孤立させました。籠城3か月で開城します。
氏政・氏照は切腹、氏直は高野山へ追放。五代100年の関東支配が終わりました。旧領には徳川家康が移封されます。
なお氏直の弟・氏規の系統は江戸時代に狭山藩主として存続しました。