なぜ第二次国府台合戦は起きた?
上杉謙信の関東出兵に呼応して北条に敵対していた安房の里見氏は、房総半島から北条領を脅かす位置にいました。
国府台は江戸川を望む台地で、江戸から下総・上総へ抜ける要衝です。ここを里見が押さえれば北条の江戸支配が揺らぎます。
戦う直前の状況
1563年末から里見義弘が国府台に布陣。北条氏康・氏政が江戸城から出撃し、江戸川を挟んで対峙しました。
1564年1月|下総国・国府台
下総の国府台で、北条氏康の軍と里見義弘が戦い、北条が勝利した戦いです。
里見軍は初戦で北条方の遠山綱景・富永直勝を討ち取りますが、その夜に油断したところを北条軍の夜襲で崩されました。
この敗戦で里見氏は上総の支配を大きく失い、北条氏の房総進出が進みます。
| 戦名 | 第二次国府台合戦 |
|---|---|
| 時期 | 1564年1月 |
| 場所 | 下総国・国府台 |
| 現在の場所 | 千葉県市川市国府台(里見公園一帯) |
| 両軍 | 北条軍 vs 里見軍 |
| 主な武将 | 北条氏康 |
| 結果 | 北条軍の勝利 |
上杉謙信の関東出兵に呼応して北条に敵対していた安房の里見氏は、房総半島から北条領を脅かす位置にいました。
国府台は江戸川を望む台地で、江戸から下総・上総へ抜ける要衝です。ここを里見が押さえれば北条の江戸支配が揺らぎます。
1563年末から里見義弘が国府台に布陣。北条氏康・氏政が江戸城から出撃し、江戸川を挟んで対峙しました。
兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。
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誰がどこで動き、どの勢力がぶつかったのか。参戦武将をタップしながら、戦いの流れと人物のつながりを追えます。
1564年1月
里見氏は上総の多くを失い、北条氏の房総支配が進みます。ただし安房の本領は保ち、以後も北条と争い続けました。
関東における反北条連合は、上杉謙信の出兵頼みという弱さを抱えたまま推移します。
謙信の関東出兵に呼応する勢力を北条が個別に叩けることを示した戦いです。関東の反北条連合が「同時に動けない」限り北条を崩せないという構図が固まりました。
第二次国府台合戦は、1564年1月に下総国・国府台で行われた合戦です。北条氏康が戦い、結果は北条軍の勝利でした。
第二次国府台合戦は1564年1月に下総国・国府台(千葉県市川市国府台(里見公園一帯))で起きました。
北条軍の勝利
北条氏康が参戦しています。