なぜ神流川の戦いは起きた?
1582年3月の武田征伐後、信長は滝川一益に上野一国と信濃二郡を与え、関東方面の司令官としました。北条氏は織田に従属する形で講和しています。
6月2日の本能寺の変で信長が死ぬと、北条氏直は従属を解いて上野へ侵攻しました。
戦う直前の状況
一益は6月9日頃に信長の死を知り、集めていた関東の国人衆に事実を告げました。動揺する中で北条の大軍が迫ります。
1582年6月|上野国・神流川
本能寺の変の直後、上野を任されていた滝川一益と、旧武田領へ進出しようとする北条氏直が神流川で戦い、北条が勝った戦いです。
一益は信長の死を家臣に伝えたうえで戦いに臨みますが、兵力差に押されて敗れ、伊勢へ撤退しました。
織田の関東支配が2か月で消え、旧武田領が空白地帯になります。
| 戦名 | 神流川の戦い |
|---|---|
| 時期 | 1582年6月 |
| 場所 | 上野国・神流川 |
| 現在の場所 | 埼玉県上里町・群馬県藤岡市(神流川古戦場碑周辺) |
| 両軍 | 北条軍 vs 滝川軍 |
| 主な武将 | 滝川一益、北条氏政 |
| 結果 | 北条軍の勝利 |
1582年3月の武田征伐後、信長は滝川一益に上野一国と信濃二郡を与え、関東方面の司令官としました。北条氏は織田に従属する形で講和しています。
6月2日の本能寺の変で信長が死ぬと、北条氏直は従属を解いて上野へ侵攻しました。
一益は6月9日頃に信長の死を知り、集めていた関東の国人衆に事実を告げました。動揺する中で北条の大軍が迫ります。
兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。
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誰がどこで動き、どの勢力がぶつかったのか。参戦武将をタップしながら、戦いの流れと人物のつながりを追えます。
1582年6月
一益の撤退で旧武田領(甲斐・信濃・上野)が空白になり、徳川家康・北条氏直・上杉景勝が奪い合う天正壬午の乱へ発展します。
一益は清洲会議に間に合わず、織田家中での発言力を失いました。翌年の賤ヶ岳では柴田勝家方につき、敗れます。
中央の政変が地方の勢力図を一瞬で書き換えた例です。信長が築いた広域支配が、当主の死とともにいかに脆かったかを示しています。
神流川の戦いは、1582年6月に上野国・神流川で行われた合戦です。滝川一益・北条氏政が戦い、結果は北条軍の勝利でした。
神流川の戦いは1582年6月に上野国・神流川(埼玉県上里町・群馬県藤岡市(神流川古戦場碑周辺))で起きました。
北条軍の勝利
滝川一益、北条氏政が参戦しています。