関ヶ原の戦いとは?徳川家康が石田三成を破った戦い

1600年9月15日|美濃国・関ヶ原

30秒でわかる関ヶ原の戦い

徳川家康率いる東軍と、石田三成を中心とする西軍が美濃・関ヶ原で激突した「天下分け目」の決戦です。

兵力はほぼ互角でしたが、小早川秀秋の寝返りをはじめとする内応が相次ぎ、開戦から半日で決着しました。

家康はこの勝利で全国の大名を再配置し、3年後に江戸幕府を開きます。260年続く近世の始まりです。

基本情報

戦名関ヶ原の戦い
時期1600年9月15日
場所美濃国・関ヶ原
現在の場所岐阜県不破郡関ケ原町(関ケ原古戦場・笹尾山/松尾山)
両軍東軍 vs 西軍
主な武将徳川家康石田三成島津義弘本多忠勝黒田官兵衛伊達政宗 ほか
結果東軍(徳川軍)の勝利

なぜ関ヶ原の戦いは起きた?

1598年に豊臣秀吉が死去し、幼い秀頼を五大老・五奉行が支える体制になりました。しかし朝鮮出兵で生まれた武断派と文治派の対立は解けていません。

徳川家康は無断の縁組や所領の私的な約束を重ね、五奉行の石田三成と対立します。1600年、家康が会津の上杉景勝討伐に向かった隙に、三成が挙兵しました。

戦う直前の状況

家康は下野小山で反転し、西上します。東海道の諸城が次々と東軍に降り、9月15日、両軍は関ヶ原に集結しました。西軍は毛利輝元を総大将に据えていましたが、輝元は大坂城にとどまっています。

両軍の顔ぶれ

東軍

主な指揮
徳川家康・福島正則・黒田長政・井伊直政・本多忠勝
兵力
約7万4千

豊臣恩顧の武断派大名を多く抱え込み、事前の調略を徹底していた。

西軍

主な指揮
石田三成・宇喜多秀家・大谷吉継・小西行長・島津義弘(総大将は毛利輝元)
兵力
約8万2千

布陣は有利だったが、南宮山・松尾山の部隊が動かなかった。

兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。

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関ヶ原の戦いを、布陣から読み解く

誰がどこで動き、どの勢力がぶつかったのか。参戦武将をタップしながら、戦いの流れと人物のつながりを追えます。

  • 1600年9月15日
  • 美濃国・関ヶ原
  • オフライン対応
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戦いの流れ

  1. 三成の挙兵(7月) 家康の会津征伐中に、三成が「内府ちがいの条々」を発して挙兵する。
  2. 小山評定(7月25日) 家康が諸将に去就を問い、福島正則らが東軍への協力を表明した。
  3. 岐阜城の陥落(8月23日) 東軍先鋒が織田秀信の岐阜城を落とし、西軍の前進拠点が失われる。
  4. 両軍の布陣(9月14日夜) 西軍が関ヶ原の周囲の高所を押さえる形で布陣。地形上は西軍が有利だった。
  5. 開戦(9月15日午前8時頃) 霧が晴れたのち戦端が開く。井伊直政隊の発砲が口火だったと伝わるが、開戦の経緯は史料により異なる。宇喜多秀家・大谷吉継らがよく戦い、前半は互角だった。
  6. 小早川秀秋の寝返り(正午頃) 松尾山の小早川秀秋1万5千が大谷隊へ攻めかかる。脇坂安治ら4隊も続いて寝返った。
  7. 西軍の崩壊 大谷吉継が自刃し、戦線が崩壊。南宮山の毛利・吉川勢は最後まで動かなかった。
  8. 島津の退き口 島津義弘が敵中を正面突破して撤退。約1500の兵のうち生還したのは80余人と伝わる。

勝敗を分けたポイント

  • 調略で勝負が決まっていた家康は小早川秀秋、吉川広家、脇坂安治らに事前工作をしており、開戦時点で西軍の3割近くが動かない状態にあった。
  • 総大将が戦場にいなかった西軍の総大将・毛利輝元は大坂城にいた。石田三成に諸将を従わせる権威が不足していた。
  • 吉川広家の不戦南宮山の毛利勢が動かなかったことで、東軍は背後を突かれずに済んだ。
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各武将の戦術

徳川家康のAI生成イメージ 徳川家康 多数派工作による切り崩しと、小早川への威嚇射撃。 石田三成のAI生成イメージ 石田三成 笹尾山に本陣を構え、西軍の総指揮を執る。 島津義弘のAI生成イメージ 島津義弘 敗色濃厚の中、敵中突破の「島津の退き口」で生還。 本多忠勝のAI生成イメージ 本多忠勝 東軍の先鋒として奮戦。 黒田官兵衛のAI生成イメージ 黒田官兵衛 九州で独自に領地拡大を図る(石垣原の戦い)。 伊達政宗のAI生成イメージ 伊達政宗 東北で上杉軍を牽制し、東軍の背後を固める(慶長出羽合戦)。 真田幸村のAI生成イメージ 真田幸村 上田城にて徳川秀忠の主力軍を足止めし、関ヶ原遅参を招く(第二次上田合戦)。 立花宗茂のAI生成イメージ 立花宗茂 西軍として参戦。大津城攻めに従事し、本戦に間に合わず(大津城の戦い)。 真田昌幸のAI生成イメージ 真田昌幸 上田城で徳川秀忠軍3万8千をわずか数千で翻弄し、足止めに成功(第二次上田合戦)。 宇喜多秀家のAI生成イメージ 宇喜多秀家 西軍最多の1万7千を率い、福島正則らと激戦を繰り広げる。 小早川秀秋のAI生成イメージ 小早川秀秋 松尾山に布陣し、正午頃に東軍へ寝返り西軍崩壊の決定打となる。 福島正則のAI生成イメージ 福島正則 東軍先鋒として宇喜多秀家隊と激戦を展開。 島左近のAI生成イメージ 島左近 杭瀬川の戦いで前哨戦を制し、本戦でも黒田長政隊などと激闘し討死。 藤堂高虎のAI生成イメージ 藤堂高虎 大谷吉継隊と交戦。小早川秀秋への調略などでも暗躍。 直江兼続のAI生成イメージ 直江兼続 「直江状」で家康を挑発。最上義光・伊達政宗らと交戦(慶長出羽合戦)。 黒田長政のAI生成イメージ 黒田長政 小早川秀秋らの調略に尽力し、本戦でも島左近を討つなど活躍。 長宗我部盛親のAI生成イメージ 長宗我部盛親 南宮山に布陣するも、毛利軍の不戦により動けず敗走。 細川忠興のAI生成イメージ 細川忠興 石田三成の本隊と激戦を繰り広げる。妻・ガラシャの悲劇を背負い奮戦。 島津豊久のAI生成イメージ 島津豊久 叔父・義弘を逃がすため、自ら盾となり討ち死にする(捨て奸)。 毛利輝元のAI生成イメージ 毛利輝元 西軍の総大将として大坂城に入るが、吉川広家の説得により動かず。 井伊直政のAI生成イメージ 井伊直政 東軍先鋒として抜け駆けの突撃を敢行。島津隊追撃中に被弾し重傷。 榊原康政のAI生成イメージ 榊原康政 東軍の中核として家康本陣を守護。 徳川秀忠のAI生成イメージ 徳川秀忠 真田昌幸の上田城攻めに手間取り本戦に遅参する失態。 上杉景勝のAI生成イメージ 上杉景勝 会津で最上義光・伊達政宗と交戦(慶長出羽合戦)。 最上義光のAI生成イメージ 最上義光 東軍として上杉軍の侵攻を防ぎ出羽を死守(慶長出羽合戦)。 大谷吉継のAI生成イメージ 大谷吉継 小早川秀秋の裏切りを予見し備えるも四方から攻撃を受け自刃。 安国寺恵瓊のAI生成イメージ 安国寺恵瓊 毛利輝元を西軍総大将に担ぎ出す外交工作を主導。敗戦後に処刑。 小西行長のAI生成イメージ 小西行長 西軍として布陣。敗戦後に捕縛、信仰上の理由で自刃を拒み斬首。 鳥居元忠のAI生成イメージ 鳥居元忠 前哨戦の伏見城で1800の兵で西軍4万に抗戦し壮絶な討死。 明石全登のAI生成イメージ 明石全登 宇喜多秀家隊の先鋒として福島正則隊と激戦。敗戦後に落ち延びる。 加藤嘉明のAI生成イメージ 加藤嘉明 東軍として参戦し賤ヶ岳七本槍の意地を見せる。 脇坂安治のAI生成イメージ 脇坂安治 当初西軍に属するも小早川と共に東軍に寝返り西軍崩壊の一因に。 池田輝政のAI生成イメージ 池田輝政 東軍として岐阜城攻略に参加し本戦でも活躍。 津軽為信のAI生成イメージ 津軽為信 東軍として参陣し大垣城攻めなどに参加。 後藤又兵衛のAI生成イメージ 後藤又兵衛 黒田長政の配下として東軍に従軍し武功を挙げる。 前田利長のAI生成イメージ 前田利長 東軍として北陸方面で西軍の丹羽長重を破り北陸を制圧。 小早川秀包のAI生成イメージ 小早川秀包 西軍として大津城攻めに参加。本戦には間に合わず。 片倉小十郎のAI生成イメージ 片倉小十郎 伊達政宗の参謀として東北方面の作戦を指揮。 吉川広家のAI生成イメージ 吉川広家 黒田長政と密約し、毛利家存続のため南宮山の毛利軍を動かさなかった。毛利輝元を説得し出陣を阻止。 本多正信のAI生成イメージ 本多正信 家康の参謀として小早川秀秋らへの調略を画策。政治・外交面で勝利に貢献。 細川藤孝のAI生成イメージ 細川藤孝 丹後田辺城で500の兵で西軍1万5千を足止め。古今伝授の断絶を恐れた朝廷が勅命で開城させた。 九鬼嘉隆のAI生成イメージ 九鬼嘉隆 西軍に属し水軍を率いる。息子・守隆が東軍のため助命の報が届くも既に自刃。 鍋島直茂のAI生成イメージ 鍋島直茂 東軍に属し九州方面で西軍と交戦。巧みな寝返りで佐賀を守る。 浅野長政のAI生成イメージ 浅野長政 東軍に属し、江戸城留守として後方を固める。 結城秀康のAI生成イメージ 結城秀康 宇都宮に在陣し上杉景勝を牽制。東軍の北方を守備。 伊達成実のAI生成イメージ 伊達成実 政宗の従兄弟として東北方面で上杉軍と交戦。武功を挙げる。 山内一豊のAI生成イメージ 山内一豊 掛川城の提供を申し出て家康の信頼を得、土佐一国を拝領。

戦いの後どうなった?

西軍の大名は改易・減封され、東軍側へ再配分されました。毛利は120万石から37万石へ、上杉は120万石から30万石へ削られます。

石田三成・小西行長・安国寺恵瓊は京都で処刑されました。

家康は1603年に征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。ただし豊臣秀頼は大坂に残り、決着は1614〜15年の大坂の陣まで持ち越されました。

なぜこの戦いが重要なのか

一日の戦闘で全国の大名の序列が引き直され、以後260年の秩序が決まりました。戦闘そのものより、そこへ至るまでの調略と大名の去就の読み合いが本質だった戦いです。

諸説・よくある誤解

家康は小早川秀秋に「問鉄砲」を撃った?

寝返りを促すため陣へ発砲させたという話は後世の記録に見えるもので、同時代史料にはなく、創作とみる説が有力です。

関ヶ原の戦いは6時間で終わった?

午前中に始まり午後には決着したとされますが、正確な開戦・終戦時刻は史料により異なります。近年は開戦がもっと遅く、決着も早かったとする説もあります。

勝利側

徳川家康のAI生成イメージ
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徳川家康

東照大権現

徳川天下人
本多忠勝のAI生成イメージ
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本多忠勝

戦国最強の武将

徳川武将
黒田官兵衛のAI生成イメージ
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黒田官兵衛

豊臣の知恵袋

豊臣軍師
伊達政宗のAI生成イメージ
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伊達政宗

独眼竜

伊達大名
小早川秀秋のAI生成イメージ
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小早川秀秋

豊臣大名
福島正則のAI生成イメージ
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福島正則

賤ヶ岳の筆頭

豊臣大名
藤堂高虎のAI生成イメージ
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藤堂高虎

築城の名手

徳川大名
黒田長政のAI生成イメージ
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黒田長政

筑前52万石

豊臣大名
細川忠興のAI生成イメージ
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細川忠興

文武両道の数奇者

豊臣大名
井伊直政のAI生成イメージ
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井伊直政

赤鬼

徳川武将
榊原康政のAI生成イメージ
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榊原康政

徳川武将
徳川秀忠のAI生成イメージ
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徳川秀忠

律儀者

徳川大名
最上義光のAI生成イメージ
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最上義光

出羽の驍将

最上大名
鳥居元忠のAI生成イメージ
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鳥居元忠

三河武士の鑑

徳川武将
加藤嘉明のAI生成イメージ
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加藤嘉明

賤ヶ岳七本槍

豊臣武将
脇坂安治のAI生成イメージ
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脇坂安治

賤ヶ岳七本槍

豊臣武将
池田輝政のAI生成イメージ
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池田輝政

姫路宰相

徳川大名
津軽為信のAI生成イメージ
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津軽為信

津軽の独立者

南部大名
後藤又兵衛のAI生成イメージ
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後藤又兵衛

大坂五人衆

豊臣武将
前田利長のAI生成イメージ
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前田利長

祥雲院

豊臣大名
片倉小十郎のAI生成イメージ
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片倉小十郎

政宗の右目

伊達軍師
本多正信のAI生成イメージ
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本多正信

家康の知恵袋

徳川軍師
細川藤孝のAI生成イメージ
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細川藤孝

幽斎

細川大名
鍋島直茂のAI生成イメージ
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鍋島直茂

葉隠の祖

龍造寺大名
浅野長政のAI生成イメージ
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浅野長政

五奉行筆頭

豊臣家臣
結城秀康のAI生成イメージ
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結城秀康

制外の家

徳川大名
伊達成実のAI生成イメージ
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伊達成実

伊達の猛将

伊達武将
山内一豊のAI生成イメージ
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山内一豊

土佐の太守

豊臣大名

敗北側

参戦武将

徳川家康のAI生成イメージ
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徳川家康

東照大権現

徳川天下人
石田三成のAI生成イメージ
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石田三成

大一大万大吉

豊臣奉行
島津義弘のAI生成イメージ
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島津義弘

鬼石曼子

島津武将
本多忠勝のAI生成イメージ
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本多忠勝

戦国最強の武将

徳川武将
黒田官兵衛のAI生成イメージ
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黒田官兵衛

豊臣の知恵袋

豊臣軍師
伊達政宗のAI生成イメージ
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伊達政宗

独眼竜

伊達大名
真田幸村のAI生成イメージ
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真田幸村

日本一の兵

真田武将
立花宗茂のAI生成イメージ
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立花宗茂

西国無双

大友武将
真田昌幸のAI生成イメージ
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真田昌幸

表裏比興の者

真田武将
宇喜多秀家のAI生成イメージ
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宇喜多秀家

備前宰相

豊臣大名
小早川秀秋のAI生成イメージ
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小早川秀秋

豊臣大名
福島正則のAI生成イメージ
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福島正則

賤ヶ岳の筆頭

豊臣大名
島左近のAI生成イメージ
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島左近

三成に過ぎたるもの

豊臣武将
藤堂高虎のAI生成イメージ
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藤堂高虎

築城の名手

徳川大名
直江兼続のAI生成イメージ
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直江兼続

愛の武将

上杉軍師
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黒田長政

筑前52万石

豊臣大名
長宗我部盛親のAI生成イメージ
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長宗我部盛親

土佐の猛者

長宗我部武将
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細川忠興

文武両道の数奇者

豊臣大名
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島津豊久

妖怪首置いてけ

島津武将
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毛利輝元

西国の総大将

毛利大名
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井伊直政

赤鬼

徳川武将
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榊原康政

徳川武将
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徳川秀忠

律儀者

徳川大名
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上杉景勝

寡黙なる義将

上杉大名
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最上義光

出羽の驍将

最上大名
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大谷吉継

義の将

豊臣武将
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安国寺恵瓊

外交僧

毛利軍師
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小西行長

キリシタン大名

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鳥居元忠

三河武士の鑑

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明石全登

キリシタン武将

宇喜多武将
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加藤嘉明

賤ヶ岳七本槍

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脇坂安治

賤ヶ岳七本槍

豊臣武将
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池田輝政

姫路宰相

徳川大名
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津軽為信

津軽の独立者

南部大名
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後藤又兵衛

大坂五人衆

豊臣武将
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前田利長

祥雲院

豊臣大名
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小早川秀包

毛利秀包

毛利武将
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片倉小十郎

政宗の右目

伊達軍師
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吉川広家

広家

毛利武将
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本多正信

家康の知恵袋

徳川軍師
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細川藤孝

幽斎

細川大名
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九鬼嘉隆

海賊大名

織田武将
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鍋島直茂

葉隠の祖

龍造寺大名
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浅野長政

五奉行筆頭

豊臣家臣
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結城秀康

制外の家

徳川大名
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伊達成実

伊達の猛将

伊達武将
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山内一豊

土佐の太守

豊臣大名

前後の出来事

関連する合戦

よくある質問

Q. 関ヶ原の戦いとはどんな戦い?

関ヶ原の戦いは、1600年9月15日に美濃国・関ヶ原で行われた合戦です。徳川家康・石田三成・島津義弘・本多忠勝らが戦い、結果は東軍(徳川軍)の勝利でした。

Q. 関ヶ原の戦いはいつ・どこで起きた?

関ヶ原の戦いは1600年9月15日に美濃国・関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町(関ケ原古戦場・笹尾山/松尾山))で起きました。

Q. 関ヶ原の戦いの結果は?

東軍(徳川軍)の勝利

Q. 関ヶ原の戦いの参戦武将は?

徳川家康、石田三成、島津義弘、本多忠勝、黒田官兵衛、伊達政宗、真田幸村、立花宗茂、真田昌幸、宇喜多秀家、小早川秀秋、福島正則、島左近、藤堂高虎、直江兼続、黒田長政、長宗我部盛親、細川忠興、島津豊久、毛利輝元、井伊直政、榊原康政、徳川秀忠、上杉景勝、最上義光、大谷吉継、安国寺恵瓊、小西行長、鳥居元忠、明石全登、加藤嘉明、脇坂安治、池田輝政、津軽為信、後藤又兵衛、前田利長、小早川秀包、片倉小十郎、吉川広家、本多正信、細川藤孝、九鬼嘉隆、鍋島直茂、浅野長政、結城秀康、伊達成実、山内一豊が参戦しています。

参考資料

  • 史料「慶長記」
  • 史料「関原軍記大成」
  • 史料「島津家文書」

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