なぜ小田原征伐は起きた?
秀吉は惣無事令で大名間の私戦を禁じていました。1589年、北条方の猪俣邦憲が真田領の名胡桃城を奪ったことが、これに違反するとされます。
北条氏は上洛して秀吉に臣従することを先延ばしにしており、名胡桃城事件が討伐の直接の口実になりました。
戦う直前の状況
小田原城は総延長9キロの総構(そうがまえ)で城下町ごと囲んだ巨大要塞で、29年前には上杉謙信の大軍を退けています。北条氏は籠城策を取り、支城にも兵を配置しました。
1590年|相模国・小田原城
豊臣秀吉が20万を超える軍勢で北条氏の本拠・小田原城を包囲し、約3か月で開城させた戦いです。
力攻めはほとんど行わず、支城を次々に落として孤立させ、石垣山に一夜城を築いて見せつけました。城内では和戦の議論がまとまらず、これが「小田原評定」の語源になります。
北条氏政・氏照が切腹し、5代100年続いた北条氏が滅亡。秀吉の全国統一が完成しました。
| 戦名 | 小田原征伐 |
|---|---|
| 時期 | 1590年 |
| 場所 | 相模国・小田原城 |
| 現在の場所 | 神奈川県小田原市(小田原城址公園・石垣山一夜城歴史公園) |
| 両軍 | 豊臣軍 vs 北条軍 |
| 主な武将 | 豊臣秀吉、徳川家康、北条氏政、伊達政宗、黒田官兵衛、前田利家 ほか |
| 結果 | 豊臣軍の勝利、北条氏の滅亡 |
秀吉は惣無事令で大名間の私戦を禁じていました。1589年、北条方の猪俣邦憲が真田領の名胡桃城を奪ったことが、これに違反するとされます。
北条氏は上洛して秀吉に臣従することを先延ばしにしており、名胡桃城事件が討伐の直接の口実になりました。
小田原城は総延長9キロの総構(そうがまえ)で城下町ごと囲んだ巨大要塞で、29年前には上杉謙信の大軍を退けています。北条氏は籠城策を取り、支城にも兵を配置しました。
大量の兵糧と物資を海路で運び、長期包囲を可能にした。
兵力の数字は、軍記物に由来するものを含め史料によって大きく開きがあります。ここでは広く引かれている数値を挙げていますが、実数はこれより少なかったとする研究もあります。
アプリで体験 布陣と武将の動きを図解
誰がどこで動き、どの勢力がぶつかったのか。参戦武将をタップしながら、戦いの流れと人物のつながりを追えます。
1590年
豊臣秀吉
石垣山一夜城を築き、北条方の戦意を喪失させる。
徳川家康
秀吉の先鋒として駿河から進軍。
北条氏政
小田原評定で籠城続くも、圧倒的兵力差と支城陥落に抗しきれず。
伊達政宗
遅参ながらも白装束で秀吉に謁見し、臣従を示す。
黒田官兵衛
秀吉の軍師として包囲戦の策を練り、無血開城にも貢献。
蒲生氏郷
松田憲秀の調略などを行い、落城に貢献。
真田昌幸
前田利家らと共に北国軍として、ド派手な格好で参陣したとも。
真田信之
父・昌幸と共に松井田城攻略などで功績を挙げる。
前田慶次
前田家の一員として参戦。
北条氏直
父・氏政と共に籠城を決意。降伏後、家康の婿として助命され高野山へ。
浅野長政
石田三成と共に兵站・補給を統括し、大軍の包囲戦を支える。
結城秀康
秀吉の養子として参戦。結城家の家督を継ぎ結城秀康と名乗る。
仙石秀久
改易の身ながら陣借りで参戦し、武功を挙げて大名に復帰。
徳川家康は北条の旧領(関東)へ移封され、江戸を本拠とします。これが後の江戸幕府の基盤になりました。
秀吉はそのまま奥州へ向かい、奥州仕置で東北の大名を再編します。ここに全国統一が完成しました。
奥州仕置に反発した葛西大崎一揆、九戸政実の乱が翌年にかけて起こります。
戦国時代の終わりを告げた戦いです。「城の堅さ」ではなく「動員力と兵站」で勝負が決まる時代になったことを、最も明確に示しました。
長引いた籠城中の軍議に由来する言葉ですが、実際には城内で複数回の方針転換があり、単に無為だったわけではないとする見方もあります。
実際には80日ほどかけて築かれたとされます。完成後に周囲の樹木を伐採し、一夜で現れたように見せた演出でした。

日輪の子

東照大権現

独眼竜

豊臣の知恵袋

槍の又左

麒麟児

表裏比興の者

天下を飾る者

赤鬼

三日月の丸くなるまで南部領

鬼義重

津軽の独立者

政宗の右目

文武両道の数奇者

祥雲院

毛利秀包

五奉行筆頭

制外の家

戦国初の復活大名

日輪の子

東照大権現

左京大夫

独眼竜

豊臣の知恵袋

槍の又左

麒麟児

表裏比興の者

天下を飾る者

天下御免の傾奇者

赤鬼

三日月の丸くなるまで南部領

鬼義重

津軽の独立者

政宗の右目

文武両道の数奇者

祥雲院

毛利秀包

小田原最後の当主

五奉行筆頭

制外の家

戦国初の復活大名
1587年
九州全域
1585年
四国全域
1591年9月
陸奥国・九戸城
1561年3月
相模国・小田原城
1600年9月15日
美濃国・関ヶ原
小田原征伐は、1590年に相模国・小田原城で行われた合戦です。豊臣秀吉・徳川家康・北条氏政・伊達政宗らが戦い、結果は豊臣軍の勝利、北条氏の滅亡でした。
小田原征伐は1590年に相模国・小田原城(神奈川県小田原市(小田原城址公園・石垣山一夜城歴史公園))で起きました。
豊臣軍の勝利、北条氏の滅亡
豊臣秀吉、徳川家康、北条氏政、伊達政宗、黒田官兵衛、前田利家、蒲生氏郷、真田昌幸、真田信之、前田慶次、井伊直政、南部信直、佐竹義重、津軽為信、片倉小十郎、細川忠興、前田利長、小早川秀包、北条氏直、浅野長政、結城秀康、仙石秀久が参戦しています。