若山城

文明2年(1470年)頃築城

城名若山城(わかやまじょう)
所在地山口県周南市福川・夜市
築城文明2年(1470年)頃、陶弘護が築いたと伝わる
主な城主陶晴賢
現状公園として整備、曲輪跡や空堀などの遺構が残る。山口県指定史跡

若山城とは

若山城は周防国都濃郡福川(現在の山口県周南市)にあった山城で、大内氏の重臣・陶氏代々の居城である。文明2年(1470年)頃、陶弘護によって築かれたと伝わる。

陶晴賢(初名・隆房)は主君・大内義隆との対立が深まる中、天文19年(1550年)頃から若山城の修築を進めて挙兵に備え、翌天文20年(1551年)に若山城で兵を挙げて義隆を討った(大寧寺の変)。以後、事実上大内氏の実権を握ったが、1555年(天文24年)の厳島の戦いで毛利元就に敗れて自刃。晴賢の死後、子の長房が若山城主となったが、弘治3年(1557年)、かつて晴賢に討たれた杉重矩の子・杉重輔の急襲を受けて城を脱出し、まもなく落命した。

1470年 陶弘護により若山城が築かれたと伝わる
1550年 陶隆房(晴賢)が主君・大内義隆との対立に備え若山城を修築
1551年 若山城で挙兵し、大寧寺の変で大内義隆を討つ
1555年 厳島の戦いで毛利元就に敗れ自刃。子・陶長房は若山城主となったが、1557年に杉重輔(杉重矩の子)の急襲を受けて落命した
広告

ゆかりの武将

大内氏重臣・陶氏代々の居城

関連する合戦

よくある質問

Q. 若山城は誰の居城でしたか?

大内氏の重臣・陶氏代々の居城で、大寧寺の変で主君・大内義隆を討った陶晴賢の本拠として知られる。

Q. 若山城の現状はどうなっていますか?

現在は公園として整備され、曲輪跡や空堀などの遺構が残り、山口県指定史跡になっている。

APP アプリでもっと深く

気になった武将も合戦も、アプリなら横断して辿れる。

サイトで見つけた入口から、アプリでは人物・合戦・関係図・地図を行き来しながら、気になる戦国を深掘りできます。

  • 214人の武将
  • 44件の合戦
  • オフライン対応
戦国図鑑をアプリで深掘りする Google Play で入手