岩国城とは
関ヶ原の戦いで西軍についた毛利家は防長二国に減封され、月山富田城主だった吉川広家は岩国3万石(のち6万石)へ移された。広家はこの転封を一身に引き受けたとされ、以後の吉川家岩国領の礎を築いた。
広家は錦川を望む横山山頂に山城を、山麓に居館「御土居」を構え、1608年に「桃山風南蛮造り」と呼ばれる最上階が張り出した特徴的な天守を完成させた。
しかし1615年の一国一城令により、完成からわずか7年で山上の天守は取り壊され、以後吉川家は山麓の居館で藩政を執り続けた。現在の天守は1962年に再建されたものである。



