岩国城

1608年(慶長13年)築城

城名岩国城
所在地山口県岩国市横山
築城1608年(慶長13年)、吉川広家による
主な城主吉川広家
現状1615年に破却、1962年に天守を再建、山口県指定史跡

岩国城とは

関ヶ原の戦いで西軍についた毛利家は防長二国に減封され、月山富田城主だった吉川広家は岩国3万石(のち6万石)へ移された。広家はこの転封を一身に引き受けたとされ、以後の吉川家岩国領の礎を築いた。

広家は錦川を望む横山山頂に山城を、山麓に居館「御土居」を構え、1608年に「桃山風南蛮造り」と呼ばれる最上階が張り出した特徴的な天守を完成させた。

しかし1615年の一国一城令により、完成からわずか7年で山上の天守は取り壊され、以後吉川家は山麓の居館で藩政を執り続けた。現在の天守は1962年に再建されたものである。

1600年 関ヶ原の戦いの結果、毛利家が防長二国に減封され、吉川広家は岩国へ移された
1608年 吉川広家が横山山頂に岩国城を築き、山麓に居館(御土居)を構えた
1615年 一国一城令により、築城からわずか7年で天守が破却された
1625年 吉川広家が死去。以後も山麓の居館で吉川家が藩政を執った
1962年 天守が再建され、錦帯橋とともに岩国の象徴となった
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よくある質問

Q. 岩国城はなぜわずか7年で取り壊されたのですか?

江戸幕府が1615年に発令した一国一城令により、一つの藩に一つの城しか認められなくなったため、山麓の居館(御土居)を残して山上の天守は破却されました。

Q. 現在の岩国城の天守はいつ建てられたものですか?

現在見られる天守は1962年(昭和37年)に再建されたもので、錦帯橋とともに岩国を代表する観光名所になっています。

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