大和国はどんな土地だったのか
大和国は興福寺・東大寺という巨大寺院の荘園が広がる国で、寺院が世俗の権力も握っていました。国人はその衆徒・国民という立場で、寺の権威を背景に勢力を張ります。
三好長慶の家臣だった松永久秀が大和へ入り、多聞山城を築いて支配を進めました。筒井順慶との抗争は長く続きます。1567年の東大寺大仏殿の焼失も、この抗争の中で起きました。
1577年に久秀が信貴山城で滅ぶと、大和は筒井順慶に一本化されます。順慶の死後、豊臣秀長が大和・紀伊・和泉100万石の大名として郡山城に入りました。


