大和郡山城

秀長の入城 1585年

城名大和郡山城(やまとこおりやまじょう)別名:郡山城
所在地奈良県大和郡山市(大和国)
築城1580年(天正8年)、筒井順慶が築城開始
主な城主筒井順慶 → 豊臣秀長
現状続日本100名城。石垣・堀が現存し、桜の名所としても知られる城跡公園

大和郡山城とは

大和郡山城は、大和国郡山(現在の奈良県大和郡山市)に築かれた城である。1580年(天正8年)、織田信長から大和一国を任された筒井順慶が、廃城となっていた多聞山城の石材なども用いて築城を開始した。しかし順慶は1584年に36歳で早世する。

1585年(天正13年)、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が大和・紀伊・和泉にまたがる100万石の領主として郡山城に入城すると、根来寺の大門を城門に転用し、春日大社の水谷川から巨石を運ぶなど、城と城下町の大規模な拡張整備を行った。これにより郡山城は奈良県内でも屈指の規模を誇る近世城郭となった。秀長は1591年(天正19年)にこの城で没し、以後は豊臣秀保、増田長盛らが城主を務めたが、関ヶ原の戦い後の1615年には水野勝成が入城し、江戸時代を通じて松平・本多・柳沢氏など譜代大名の居城となった。

1580年(天正8年) 筒井順慶が郡山城の築城を開始
1584年 筒井順慶死去(享年36)
1585年(天正13年) 豊臣秀長が大和・紀伊・和泉100万石の領主として入城し、大規模な改修を行う
1587年 秀長、九州平定に主力として参加(郡山城主として)
1591年(天正19年) 豊臣秀長、郡山城にて死去
1615年 水野勝成が入城。以後、松平・本多・柳沢氏など譜代大名の居城となる
広告

ゆかりの武将

大和郡山城を居城とした人物

大和一国破城令後に本拠を移し、築城に着手した城

1580年、織田信長の大和一国破城令により本拠・筒井城を追われ、大和郡山城に本拠を移して近世城郭化に着手した初代城主。

豊臣五奉行・大和郡山城主増田長盛

五奉行の一人増田長盛は、豊臣秀長・秀保の跡を継いで大和郡山城主となり、城下の惣構え整備を進めたが、関ヶ原合戦後に改易され高野山へ追放された。

関連する合戦

秀長の居城を辿る

有子山城 大和郡山城

よくある質問

Q. 大和郡山城とは?

奈良県大和郡山市にあった城で、筒井順慶が築城し、後に豊臣秀長が大和・紀伊・和泉100万石の居城として大規模に整備しました。

Q. 大和郡山城は誰が最初に築いたのですか?

1580年に織田信長から大和一国を任された筒井順慶が築城を開始しました。

Q. 豊臣秀長はなぜ大和郡山城の城主になったのですか?

1584年に筒井順慶が没した後、1585年に兄・豊臣秀吉から大和・紀伊・和泉にまたがる100万石を与えられ、郡山城に入城したためです。

Q. 大和郡山城の現状はどうなっていますか?

続日本100名城に選ばれており、石垣や堀が良好に残る城跡公園として整備されています。桜の名所としても知られています。

APP アプリでもっと深く

気になった武将も合戦も、アプリなら横断して辿れる。

サイトで見つけた入口から、アプリでは人物・合戦・関係図・地図を行き来しながら、気になる戦国を深掘りできます。

  • 214人の武将
  • 44件の合戦
  • オフライン対応
戦国図鑑をアプリで深掘りする Google Play で入手