山城国・丹波国ほかはどんな土地だったのか
応仁の乱(1467年)は京都市街を戦場とし、洛中の大半が焼けました。以後、幕府の権威は落ち、京都は三好・松永ら畿内の実力者が争う場になります。
1568年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛しました。義昭との対立を経て1573年に義昭を追放し、室町幕府は事実上終わります。
1582年6月2日、本能寺で信長が討たれ、11日後に山崎で明智光秀が敗れました。天下の主が二度替わったのが、この11日間の京都周辺です。
山城国には京都があります。天皇と将軍がいるこの土地を押さえることが、戦国大名にとって何を意味したのか——応仁の乱も、信長の上洛も、本能寺の変も、山崎の戦いもここで起きました。
現在の京都府南部。京都が置かれた国。
現在の京都府中部と兵庫県東部。明智光秀が平定した。
現在の京都府北部。細川藤孝が与えられた。
応仁の乱(1467年)は京都市街を戦場とし、洛中の大半が焼けました。以後、幕府の権威は落ち、京都は三好・松永ら畿内の実力者が争う場になります。
1568年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛しました。義昭との対立を経て1573年に義昭を追放し、室町幕府は事実上終わります。
1582年6月2日、本能寺で信長が討たれ、11日後に山崎で明智光秀が敗れました。天下の主が二度替わったのが、この11日間の京都周辺です。
室町幕府の将軍家。義輝は三好・松永に討たれ、義昭は信長に追放された。
管領家。藤孝(幽斎)は信長・秀吉・家康に仕え、丹後を領した。
三好長慶が畿内を制し、将軍を凌ぐ実力を持った。長慶の死後に衰えた。

美濃の蝮
油売りから美濃国主まで成り上がった下克上の代名詞。娘の濃姫を織田信長に嫁がせた。

幽斎
足利将軍家に仕えた文武両道の名将。和歌・古典に精通し「古今伝授」唯一の伝承者として知られた。

最後の将軍
室町幕府第15代にして最後の将軍。兄・義輝が三好三人衆に暗殺された後、各地を流浪し織田信長の助力で将軍に就任。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
美濃の蝮
1494?〜1556/山城国の出身/斎藤氏の大名
幽斎
1534〜1610/京都の出身/細川氏の大名
最後の将軍
1537〜1597/京都の出身/足利氏の将軍
剣豪将軍
1536〜1565/山城国の出身/足利氏の将軍
文武両道の数奇者
1563〜1646/山城国の出身/豊臣氏の大名
築城 1586年〜1587年 〜 破却 1595年
京都府
築城 1592年〜
京都府
光秀の出陣 1582年
京都府
藤孝の居城
京都府
田辺城の戦い 1600年
京都府
細川氏の本拠
京都府
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。