紀伊国はどんな土地だったのか
紀伊は守護・畠山氏の統制が及ばず、寺社と地縁的な武装集団が実権を握っていました。根来寺は僧兵が鉄砲を扱い、雑賀衆は傭兵として各地の戦場に出ています。
石山合戦では雑賀衆が本願寺に味方し、鈴木重秀(雑賀孫市)らの鉄砲隊が織田軍を苦しめました。信長は1577年に雑賀攻めを行いますが、完全な制圧には至っていません。
1585年、豊臣秀吉が10万余で紀州攻めを行い、根来寺を焼き、雑賀衆を解体しました。太田城の水攻めをもって紀伊は豊臣の支配下に入ります。
紀伊国には戦国大名がいません。高野山・根来寺という宗教勢力と、鉄砲で武装した雑賀衆が並び立ち、外からの支配を長く拒み続けました。
現在の和歌山県と三重県南部。高野山・根来寺・雑賀衆がいた。
紀伊は守護・畠山氏の統制が及ばず、寺社と地縁的な武装集団が実権を握っていました。根来寺は僧兵が鉄砲を扱い、雑賀衆は傭兵として各地の戦場に出ています。
石山合戦では雑賀衆が本願寺に味方し、鈴木重秀(雑賀孫市)らの鉄砲隊が織田軍を苦しめました。信長は1577年に雑賀攻めを行いますが、完全な制圧には至っていません。
1585年、豊臣秀吉が10万余で紀州攻めを行い、根来寺を焼き、雑賀衆を解体しました。太田城の水攻めをもって紀伊は豊臣の支配下に入ります。
紀ノ川河口の地侍集団。鉄砲の扱いに長け、傭兵として各地で戦った。
僧兵が鉄砲で武装した寺院勢力。秀吉の紀州攻めで焼かれた。
真言宗の本山。信長・秀吉と対立した時期を経て、木食応其の交渉で存続した。

雑賀孫市
紀伊国の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」の頭目とされる人物。石山本願寺と結んで織田信長に対抗し、圧倒的な鉄砲火力で信長軍を苦しめた。

幸村の嫡男
真田幸村の長男。父と共に九度山を脱出し大坂に入城。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。