太田城

佐竹氏約470年の居城

城名太田城(おおたじょう)/通称・舞鶴城
所在地茨城県常陸太田市中城町
築城平安時代末期に藤原通延が築いたと伝わり、その後佐竹氏二代・隆義が入城して以降、佐竹氏代々の居城となった
主な城主佐竹義重
現状本丸跡地には太田小学校が建ち遺構はほとんど残らないが、若宮八幡宮境内に「太田故城碑」が残る

太田城とは

太田城は常陸国久慈郡太田郷(現在の茨城県常陸太田市)にあった平山城で、通称「舞鶴城」。佐竹氏二代・隆義が入城して以降、約470年にわたり佐竹氏代々の本拠となった。

「鬼義重」の異名で知られる佐竹義重は、この太田城を拠点に常陸国内の統一を進めた戦国大名である。1578年(天正6年)頃には南方の防衛拠点として水戸城の改修も進めたが、本拠は太田城のまま常陸統一に邁進した。1590年(天正18年)の小田原征伐に子・義宣とともに参陣して豊臣秀吉から常陸54万石を安堵されると、義宣は水戸城へ本拠を移し、義重は太田城で「北城様」と呼ばれ隠居生活を送った。

1547年 佐竹氏18代当主・佐竹義重、太田城で誕生
1578年 水戸城を改修し南方の防衛拠点とする一方、太田城を本拠に常陸統一を進める
1590年 小田原征伐に参陣。戦後、子・義宣が本拠を水戸城へ移す
1591年 南方三十三館の諸将を太田城に招いて謀殺し、常陸南部を平定
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ゆかりの武将

佐竹氏歴代の居城、義重が常陸統一の拠点とした本城

よくある質問

Q. 太田城は誰の居城でしたか?

佐竹氏二代・隆義の入城以来、約470年にわたり佐竹氏代々の居城となり、戦国時代には「鬼義重」と呼ばれた佐竹義重の本拠だった。

Q. 太田城はなぜ廃城になったのですか?

義重の子・義宣が1590年代に本拠を水戸城へ移し、さらに関ヶ原の戦い後に佐竹氏が秋田へ転封されたことで廃城となった。

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