どのように勢力を広げた?
佐竹氏は常陸北部から南下し、江戸氏・大掾氏といった在地勢力を従えて常陸を統一しました。
外交では上杉・豊臣と結び、北条を包囲する構図を作っています。石田三成と親しかったことが、関ヶ原での立場を難しくしました。
佐竹氏は清和源氏の流れをくむ常陸の名門で、太田城を本拠としました。
義重の代に常陸統一を進め、南からの北条氏、北からの伊達氏の圧力に対抗します。人取橋の戦いでは南奥州の諸勢力を率いて伊達政宗と戦いました。
豊臣政権下で54万石を安堵されますが、関ヶ原で去就を明確にしなかったため、出羽秋田20万石へ減転封されます。
常陸国(太田城→水戸城)
佐竹氏は常陸北部から南下し、江戸氏・大掾氏といった在地勢力を従えて常陸を統一しました。
外交では上杉・豊臣と結び、北条を包囲する構図を作っています。石田三成と親しかったことが、関ヶ原での立場を難しくしました。
1590年の小田原征伐後、豊臣政権から常陸54万石を安堵された時期が最大です。
関ヶ原で義宣は東軍にも西軍にも明確に加担しませんでした。石田三成との関係が疑われ、戦後に出羽秋田へ移されます。
減転封は事実上の処罰でしたが、家は存続しました。久保田藩(秋田藩)として幕末まで続きます。