佐竹氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

佐竹氏を30秒で

佐竹氏は清和源氏の流れをくむ常陸の名門で、太田城を本拠としました。

義重の代に常陸統一を進め、南からの北条氏、北からの伊達氏の圧力に対抗します。人取橋の戦いでは南奥州の諸勢力を率いて伊達政宗と戦いました。

豊臣政権下で54万石を安堵されますが、関ヶ原で去就を明確にしなかったため、出羽秋田20万石へ減転封されます。

本拠と領域

常陸国(太田城→水戸城)

歴代当主

  1. 佐竹義重のAI生成イメージ 佐竹義重 1562年〜1590年 「鬼義重」と称された。常陸統一を進め、北条・伊達と争った。
  2. 佐竹義宣のAI生成イメージ 佐竹義宣 1590年〜1633年 豊臣政権下で54万石。関ヶ原後に秋田へ移された。

どのように勢力を広げた?

佐竹氏は常陸北部から南下し、江戸氏・大掾氏といった在地勢力を従えて常陸を統一しました。

外交では上杉・豊臣と結び、北条を包囲する構図を作っています。石田三成と親しかったことが、関ヶ原での立場を難しくしました。

最盛期

1590年の小田原征伐後、豊臣政権から常陸54万石を安堵された時期が最大です。

主な合戦

他勢力との関係

北条氏
関東の主導権をめぐる長年の対立相手。
伊達氏
南奥州で争った。人取橋では連合軍を率いて政宗と戦った。
豊臣氏
早くから秀吉に接近し、常陸を安堵された。石田三成とも親しかった。
広告

衰退・その後

関ヶ原で義宣は東軍にも西軍にも明確に加担しませんでした。石田三成との関係が疑われ、戦後に出羽秋田へ移されます。

減転封は事実上の処罰でしたが、家は存続しました。久保田藩(秋田藩)として幕末まで続きます。

佐竹氏に属した武将(2人)

APP 勢力ページの次へ

佐竹氏で見比べたら、次は人物どうしのつながりへ。

勢力ごとの顔ぶれを見たあと、アプリでは各武将の関係図や関わった合戦まで自然につなげて読めます。

  • 勢力から人物へ
  • 214人の武将
  • 44件の合戦
  • オフライン対応
佐竹氏をアプリで追う Google Play で入手