龍造寺氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

龍造寺氏を30秒で

龍造寺氏は肥前の国人から出た家です。隆信の代に肥前を統一し、耳川で大友が崩れた後の九州で急速に版図を広げました。

筑前・筑後・肥後にも進出し、島津と並ぶ勢力になります。しかし1584年の沖田畷で隆信が討死しました。

以後、実権は義兄弟の鍋島直茂へ移り、江戸時代には鍋島氏が佐賀藩主となります。

本拠と領域

肥前国(村中城・佐嘉城)

歴代当主

  1. 龍造寺隆信のAI生成イメージ 龍造寺隆信 1548年〜1584年 肥前を統一し、九州北部へ拡大。沖田畷で討死した。
  2. 龍造寺政家 1580年〜1590年 隆信の子。1580年に家督を譲られたが実権は隆信が握り続け、1584年の隆信戦死後は鍋島直茂へ移った。

どのように勢力を広げた?

隆信の拡大は速く、耳川以後のわずか数年で九州北部の広い範囲に及びました。ただし服属させた国人の統制は緩く、離反も起きています。

有馬晴信の離反が沖田畷の戦いの発端になりました。

最盛期

1580年代前半が最盛期です。肥前・筑後を中心に、九州北部で島津と対抗しうる唯一の勢力でした。

主な合戦

他勢力との関係

大友氏
当初は従属。耳川の敗戦を機に自立し、旧大友領へ進出した。
島津氏
沖田畷で当主・隆信を討たれ、以後は島津に従属した。
豊臣氏
九州征伐後に本領を安堵されたが、実権は鍋島氏に移っていた。
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衰退・その後

沖田畷で当主と多くの重臣を一度に失ったことが決定的でした。政家は病弱で、家中をまとめられません。

豊臣政権は実権を握る鍋島直茂を事実上の当主として扱い、江戸時代には鍋島氏が佐賀藩主となりました。龍造寺の名跡は分家に残ります。

龍造寺氏に属した武将(2人)

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