玉縄城

築城 1512年頃(伝)

城名玉縄城
所在地相模国(現・神奈川県鎌倉市)
築城1512年頃(永正9年)とされる
主な城主北条氏時・北条為昌・北条綱成ら北条一族。北条氏康の時代を通じて重要拠点として機能
現状遺構の一部が残り、龍宝寺周辺に城跡が残存

玉縄城とは

玉縄城は相模国、現在の神奈川県鎌倉市に築かれた城で、北条早雲が三浦半島を拠点とする三浦氏攻略のため1512年(永正9年)頃に築いたと伝わる。小田原城の東方を守る要衝として位置づけられ、以後代々北条一族の近親者が城主を務めた。

北条氏康の時代には、氏康の妹婿にあたる猛将・北条綱成が城主を務め、玉縄衆を率いて各地を転戦した。綱成以後も氏繁・氏舜・氏勝と北条一族が城主を継承し、江戸湾方面や房総半島に対する備えとして重要な役割を果たし続けた。1590年(天正18年)の小田原征伐に際しては、当時の城主・北条氏勝が徳川方に包囲されたが、菩提寺・龍宝寺住職の説得により無血開城し、北条氏の滅亡とともにその歴史に幕を下ろした。

1512年 北条早雲が三浦氏攻略の拠点として玉縄城を築く(とされる)
1526年 里見氏による鎌倉侵攻の際、玉縄城主が迎撃し撃退したと伝わる
1561年 北条氏康の時代、城主・北条綱成らが玉縄衆を率いて各地を転戦
1590年 小田原征伐に際し、城主・北条氏勝が徳川方の説得を受けて無血開城
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玉縄城の歴代城主

氏康自身が城主を務めたわけではなく、氏康の縁者にあたる北条綱成・氏繁ら一族が代々城主を務めた

徳川家康から与えられた居城

1590年の徳川家康の関東移封後、相模玉縄で1万石(一説に2万2千石)を与えられ、家康の側近としてこの城を居所とした。1615年の一国一城令を受け1619年に廃城。

三代城主として生涯の本拠とした城

1542年、二代城主・北条為昌の死去に伴い玉縄城主となり、以後生涯の本拠とした。「地黄八幡」の旗を掲げる勇将として北条家の軍事を支えた。

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よくある質問

Q. 玉縄城とは?

相模国(現・神奈川県鎌倉市)にあった城で、北条早雲が三浦氏攻略のために築いたと伝わる。以後、北条一族の近親者が代々城主を務めた。

Q. 玉縄城の城主は誰だったのか?

北条氏時、北条為昌、北条綱成、氏繁、氏舜、氏勝など、北条宗家の近親者が代々城主を務めた(氏康自身が城主を務めたことはない)。

Q. 玉縄城はどのように滅びたのか?

1590年の小田原征伐で徳川方に包囲されたが、城主・北条氏勝が菩提寺住職の説得を受けて無血開城し、そのまま北条氏の滅亡を迎えた。

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