興国寺城

早雲の入城 1487年頃

城名興国寺城
所在地駿河国駿東郡(現・静岡県沼津市根古屋)
築城15世紀後期、今川氏によるとされる(築城主・年代は諸説あり)
主な城主北条早雲(伊勢宗瑞)
現状国指定史跡として整備され、土塁・堀の一部が現存

興国寺城とは

興国寺城は、駿河国と伊豆国の国境に近い駿東郡(現在の静岡県沼津市根古屋)に築かれた平山城である。築城の時期や築いた人物については諸説あるが、15世紀後期に駿河守護・今川氏によって築かれたとする説が有力である。

長享2年(1488年)頃、今川氏の家督争い(今川義忠没後の内紛)を鎮めた功により、伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)がこの城と富士郡下方十二郷を今川氏親から与えられ、城主となった。早雲はここを拠点に勢力を伸ばし、明応2年(1493年)には伊豆の堀越公方・足利茶々丸を攻めて伊豆を平定、後に本拠を伊豆韮山、さらには相模小田原へと移していく。この経緯から、興国寺城は戦国大名・後北条氏発祥の地として伝えられている。

15世紀後期 今川氏により興国寺城が築かれたとされる(諸説あり)
1487年頃/1488年頃 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が今川氏親より興国寺城と富士郡下方十二郷を与えられ、城主となる(年代は諸説あり)
1493年 北条早雲が伊豆の堀越公方を攻め、伊豆国平定に乗り出す
1493年以降 早雲は本拠を伊豆韮山城へ移し、興国寺城は今川氏に返還されたとされる
1524年頃以降 後北条氏と今川・武田氏との間で度々争奪の対象となる
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ゆかりの武将

旗揚げの城主とした人物

武田氏の興国寺城代を務めた武将

曽根昌世は武田信玄・勝頼に仕えた武田二十四将の一人で、対北条氏の最前線拠点であった駿河・興国寺城の城代を務めた。武田滅亡後は徳川家康に属し、天正壬午の乱の功により再び興国寺城主となったが、程なく出奔した。

北条家の居城を辿る

興国寺城 韮山城 小田原城 玉縄城 河越城

よくある質問

Q. 興国寺城とは?

駿河・伊豆国境近くにあった城で、北条早雲(伊勢宗瑞)が今川氏親から与えられて城主となり、後北条氏発祥の地として伝わる。

Q. 北条早雲はいつ興国寺城の城主になった?

長享2年(1488年)頃、今川氏の家督争いを鎮めた功により今川氏親から城と所領を与えられたとされる。ただし年代には諸説がある。

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