豊後国・豊前国はどんな土地だったのか
大友氏は鎌倉以来の豊後守護で、府内(現在の大分市)を本拠としました。宗麟の代に豊後・豊前・筑前・筑後・肥前・肥後の六か国守護となります。
府内には南蛮貿易の船が入り、日本初の西洋式病院が建てられたと伝わります。宗麟自身も1578年に洗礼を受けました。
同じ1578年、耳川の戦いで島津に大敗し、重臣を多数失います。以後は国人の離反が相次ぎ、1586年には豊臣秀吉に救援を求めました。九州征伐で豊後は安堵されますが、子の義統が朝鮮出兵での失態により改易されます。
豊後国の大友宗麟は、キリシタン大名として南蛮貿易を進め、九州六か国を押さえた最大勢力でした。その大友氏が耳川で崩れ、島津の北上を招きます。
現在の大分県中南部。大友氏の本国。
現在の大分県北部と福岡県東部。
大友氏は鎌倉以来の豊後守護で、府内(現在の大分市)を本拠としました。宗麟の代に豊後・豊前・筑前・筑後・肥前・肥後の六か国守護となります。
府内には南蛮貿易の船が入り、日本初の西洋式病院が建てられたと伝わります。宗麟自身も1578年に洗礼を受けました。
同じ1578年、耳川の戦いで島津に大敗し、重臣を多数失います。以後は国人の離反が相次ぎ、1586年には豊臣秀吉に救援を求めました。九州征伐で豊後は安堵されますが、子の義統が朝鮮出兵での失態により改易されます。
豊後府内を本拠とした九州最大の大名。宗麟の代に最盛期と没落の両方を経験した。
立花道雪・高橋紹運とその子・立花宗茂。大友の衰退期に筑前で奮戦した。

西国無双
高橋紹運の実子で立花道雪の養子。秀吉から「九州一」、家康からも「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と評された。

雷神
大友宗麟を支えた忠義の士。雷に打たれても生還し、半身不随ながら輿に乗って戦場を駆けた「雷神」。

豊後の王
北九州を支配したキリシタン大名。海外貿易を積極的に行い「豊後王」と呼ばれた。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
西国無双
1567〜1643/豊後国の出身/大友氏の武将
雷神
1513〜1585/豊後国の出身/大友氏の武将
豊後の王
1530〜1587/豊後国の出身/大友氏の大名
紹運
1548〜1586/豊後国の出身/大友氏の武将
拝領 1587年 〜 築城 1588年
大分県
宗麟の築城
大分県
大友氏の本拠地(府内) 16世紀中頃/築城1597年(慶長2年)
大分県(豊後国)
築城 1334年(建武元年)伝承
大分県(豊後国)
戸次鑑連(後の立花道雪)誕生 1513年
大分県(豊後国)
細川忠興の入城 慶長7年(1602年)
福岡県(豊前国)
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。