戸次館

戸次鑑連(後の立花道雪)誕生 1513年

城名戸次館(戸次氏館)
所在地大分県豊後大野市大野町田中(豊後国大野郡)
築館時期不詳。鎌倉期以降、戸次氏が大野荘に土着し居館を構えたとされる
主な城主戸次氏(立花道雪の生家)
現状遺構はほとんど残らず、跡地の一帯は最乗寺境内地付近とされる

戸次館とは

戸次館は、豊後国大野荘(現在の大分県豊後大野市大野町)に構えられていた戸次氏代々の居館である。戸次氏は大友氏の庶流とされる一族で、読みは「べっき」とも「へつぎ」とも伝わり、地名としての戸次(大分市戸次)とあわせて古くから豊後国内で重きをなした。

永正10年(1513年)、戸次氏の一族にあたる戸次親家の子として戸次鑑連が生まれたとされる。鑑連はのちに大友氏の重臣として数々の戦功を挙げ、立花城督となって「立花道雪」の名で広く知られるようになる人物である。戸次館そのものの正確な築館年代や規模は史料に乏しく判然としない部分が多いが、詰城とされる鎧ヶ岳城とあわせて戸次氏の本拠であったと考えられている。

鎌倉期~南北朝期 戸次氏が豊後国大野荘に土着し、居館(戸次館)を構えたとされる
1513年 戸次親家の子として戸次鑑連(後の立花道雪)が誕生したと伝わる
1543年頃 父・親家の跡を継ぎ、戸次氏当主となったとされる
1557年頃 大友義鎮(宗麟)のもとで重臣として頭角を現す
1571年 立花城督となり、以後「立花道雪」と呼ばれるようになる(本人は生涯「戸次」を称したとの説もある)
1585年 筑後国北野の陣中で没する。家督は養子の立花宗茂が継いだ
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ゆかりの武将

生家・戸次氏ゆかりの人物

戸次館は立花道雪自身の居城ではなく、道雪が生まれ育ったとされる戸次氏の本拠地である。

よくある質問

Q. 戸次館とは?

豊後国大野荘(現在の大分県豊後大野市大野町)にあった戸次氏の居館。大友氏の重臣として活躍し、後に立花道雪と呼ばれる戸次鑑連の生家と伝わる。

Q. 戸次館は「べっきやかた」と「へつぎやかた」どちらが正しい読み?

戸次の読みは「べっき」「へつぎ」の両方が伝わっており、戸次鑑連(立花道雪)本人については「べっき」と読むのが一般的とされる。地名としての戸次(大分市戸次)は現在「へつぎ」と読まれている。

Q. 戸次館の遺構は今も残っている?

現存する建造物や明確な遺構はほとんど残っておらず、跡地は最乗寺境内地付近にあったとされるが、詳細な位置や規模は史料上判然としない部分が多い。

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