どのように勢力を広げた?
南部氏の支配は、一族が各地に城を持つ連合体に近い形でした。当主の権威が弱いと、この構造がそのまま内紛の原因になります。
津軽(現在の青森県西部)では大浦為信(津軽為信)が自立し、豊臣政権に独立を認められました。南部にとっては領地の喪失です。
南部氏は陸奥北部(現在の岩手県北部から青森県東部)を治めた大名です。一族が各地に分かれ、当主の統制が緩い構造でした。
晴政の死後に家督争いが起き、信直が継ぎます。これに従わなかった一族の九戸政実が1591年に挙兵し、豊臣政権の奥州再仕置軍6万余に鎮圧されました。
この鎮圧をもって全国統一が完成します。南部氏は盛岡藩として江戸時代を通じて存続しました。
陸奥国(三戸城→盛岡城)
南部信直
1582年〜1599年
家督争いを経て当主に。豊臣に臣従し、九戸政実の乱を鎮圧した。
南部氏の支配は、一族が各地に城を持つ連合体に近い形でした。当主の権威が弱いと、この構造がそのまま内紛の原因になります。
津軽(現在の青森県西部)では大浦為信(津軽為信)が自立し、豊臣政権に独立を認められました。南部にとっては領地の喪失です。
奥州仕置で豊臣政権に本領を安堵された1590年以降が、家として最も安定した時期です。
南部氏は滅んでいません。九戸政実の乱の鎮圧後、家督が信直に確定し、盛岡藩10万石として幕末まで続きました。
一方、九戸氏は滅亡し、津軽氏は独立。奥州仕置は在地の実力による関係を、中央政権が引き直したものでした。