南部氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

南部氏を30秒で

南部氏は陸奥北部(現在の岩手県北部から青森県東部)を治めた大名です。一族が各地に分かれ、当主の統制が緩い構造でした。

晴政の死後に家督争いが起き、信直が継ぎます。これに従わなかった一族の九戸政実が1591年に挙兵し、豊臣政権の奥州再仕置軍6万余に鎮圧されました。

この鎮圧をもって全国統一が完成します。南部氏は盛岡藩として江戸時代を通じて存続しました。

本拠と領域

陸奥国(三戸城→盛岡城)

歴代当主

  1. 南部晴政 〜1582年 三戸城主。一族をまとめきれないまま没した。
  2. 南部信直のAI生成イメージ 南部信直 1582年〜1599年 家督争いを経て当主に。豊臣に臣従し、九戸政実の乱を鎮圧した。
  3. 南部利直 1599年〜1632年 盛岡城を築き、盛岡藩の体制を整えた。

どのように勢力を広げた?

南部氏の支配は、一族が各地に城を持つ連合体に近い形でした。当主の権威が弱いと、この構造がそのまま内紛の原因になります。

津軽(現在の青森県西部)では大浦為信(津軽為信)が自立し、豊臣政権に独立を認められました。南部にとっては領地の喪失です。

最盛期

奥州仕置で豊臣政権に本領を安堵された1590年以降が、家として最も安定した時期です。

主な合戦

他勢力との関係

豊臣氏
小田原に参陣して本領を安堵された。九戸の乱では6万余の援軍を得た。
津軽氏
南部から自立した大浦為信が津軽藩を立てた。両家の対立は江戸時代も続いた。
伊達氏
南の隣接勢力。直接の大規模な衝突は少ないが、奥州の勢力争いで牽制し合った。
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衰退・その後

南部氏は滅んでいません。九戸政実の乱の鎮圧後、家督が信直に確定し、盛岡藩10万石として幕末まで続きました。

一方、九戸氏は滅亡し、津軽氏は独立。奥州仕置は在地の実力による関係を、中央政権が引き直したものでした。

南部氏に属した武将(3人)

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