九度山

蟄居生活 1600年~1614年

城名九度山(城ではなく蟄居生活を送った地)
所在地紀伊国九度山(現・和歌山県九度山町)
蟄居開始1600年(慶長5年)
主な居住者真田幸村(信繁)真田昌幸
現状真田庵(善名称院)として真田父子の居住地が残る

九度山とは

九度山は、和歌山県北部・紀伊国にある山あいの地で、城郭ではなく、関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸幸村(信繁)父子が蟄居生活を送った場所として知られる。1600年(慶長5年)、東軍に与した長男・信之の助命嘆願もあり、昌幸・幸村父子は死罪を免れて高野山への蟄居を命じられた。厳寒の高野山から間もなくふもとの九度山へ居を移し、以後ここが父子の生活の場となった。

蟄居生活は困窮を極めたと伝わり、昌幸は再起を期しながらも1611年(慶長16年)にこの地で病没した。幸村は父の死後も九度山に留まり続けたが、1614年(慶長19年)、大坂の陣の勃発に際して九度山を脱出し、大坂城へと入城。翌年の大坂夏の陣で徳川方に決死の突撃を敢行し、その名を歴史に刻むことになる。九度山で過ごした約14年は、幸村の生涯で最も長く一つの場所に留まった期間でもあった。

1600年 関ヶ原の戦いで西軍に付いた真田昌幸・幸村父子が敗軍となり、高野山への蟄居を命じられる
1600年 厳寒の高野山から九度山へ居を移し、蟄居生活を開始
1611年 真田昌幸が九度山で死去
1614年 大坂の陣の勃発により幸村が九度山を脱出し、大坂城へ入城
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九度山で蟄居生活を送った人物

九度山は城ではないため城主という概念はなく、あくまで蟄居生活の居住者としての関係となる

父・幸村と過ごした少年時代の蟄居地

関ヶ原の戦い後、父・真田信繁(幸村)、祖父・昌幸とともに紀伊九度山で蟄居生活を送り、少年時代をここで過ごした。

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よくある質問

Q. 九度山とは?

九度山は紀伊国(現・和歌山県九度山町)にある地で、城ではなく、関ヶ原の戦い後に真田昌幸・幸村父子が蟄居生活を送った場所である。

Q. 真田幸村はなぜ九度山にいたのか?

関ヶ原の戦いで西軍について敗れたため、死罪を免れる代わりに父・昌幸とともに高野山、続いて九度山での蟄居を命じられたためである。

Q. 九度山での蟄居生活はいつまで続いたのか?

1600年から1614年まで、約14年間続いた。1614年に大坂の陣が始まると、幸村は九度山を脱出して大坂城に入城した。

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