肥前国はどんな土地だったのか
龍造寺隆信は佐嘉城(佐賀城)を本拠に肥前を統一し、筑前・筑後・肥後へも進出しました。耳川で大友が崩れた後の九州で、島津と並ぶ勢力になります。
1584年、島原の有馬晴信を攻めた沖田畷の戦いで、島津・有馬連合軍に敗れて討死しました。以後、龍造寺家の実権は義兄弟の鍋島直茂が握ります。
肥前西部(現在の長崎県)は大村純忠・有馬晴信といったキリシタン大名の領地で、長崎・平戸が南蛮貿易の窓口になりました。大村純忠は長崎をイエズス会に寄進しています。
肥前国では、大友の衰退に乗じて龍造寺隆信が急拡大しました。しかし沖田畷で島津に討たれ、実権は家臣の鍋島直茂へ移ります。
現在の佐賀県と長崎県。龍造寺氏の本国で、島原・平戸を含む。
龍造寺隆信は佐嘉城(佐賀城)を本拠に肥前を統一し、筑前・筑後・肥後へも進出しました。耳川で大友が崩れた後の九州で、島津と並ぶ勢力になります。
1584年、島原の有馬晴信を攻めた沖田畷の戦いで、島津・有馬連合軍に敗れて討死しました。以後、龍造寺家の実権は義兄弟の鍋島直茂が握ります。
肥前西部(現在の長崎県)は大村純忠・有馬晴信といったキリシタン大名の領地で、長崎・平戸が南蛮貿易の窓口になりました。大村純忠は長崎をイエズス会に寄進しています。
肥前佐嘉城の大名。隆信の代に急拡大し、沖田畷で当主を失って衰えた。
龍造寺家の重臣。直茂が実権を握り、江戸時代に佐賀藩主となった。
大村純忠・有馬晴信。南蛮貿易と布教を受け入れ、天正遣欧少年使節を送り出した。

葉隠の祖
龍造寺隆信の重臣にして智勇兼備の名将。沖田畷で主君・隆信が戦死した後、龍造寺家の実権を掌握し、事実上の佐賀藩の祖となった。

肥前の熊
肥前国の戦国大名。冷酷な性格から「肥前の熊」と恐れられた。

日本初のキリシタン大名
日本で最初にキリスト教の洗礼を受けた大名。洗礼名はバルトロメオ。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
葉隠の祖
1538〜1618/肥前国の出身/龍造寺氏の大名
肥前の熊
1529〜1584/肥前国の出身/龍造寺氏の大名
日本初のキリシタン大名
1533〜1587/肥前国の出身/大友氏の大名
キリシタン大名
1567〜1612/肥前国の出身/島津氏の大名
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。