薩摩国・大隅国はどんな土地だったのか
島津氏は鎌倉時代に薩摩・大隅・日向の守護に任じられた家で、戦国期には分家との抗争を経て貴久・義久の代に三州を統一します。
義久・義弘・歳久・家久の四兄弟が各方面を担い、耳川で大友を、沖田畷で龍造寺を破って九州の大半を制圧しました。
1587年、豊臣秀吉の20万余に降伏し、薩摩・大隅と日向の一部を安堵されます。関ヶ原では西軍につきながら、敵中突破の撤退(島津の退き口)と戦後交渉により本領を保ちました。
薩摩・大隅の島津氏は、鎌倉時代から続く守護の家が、そのまま戦国大名として九州統一の一歩手前まで進んだ稀な例です。「釣り野伏せ」で知られる戦法は、耳川・沖田畷・戸次川で繰り返し機能しました。
現在の鹿児島県西部。島津氏の本国。
現在の鹿児島県東部。
島津氏は鎌倉時代に薩摩・大隅・日向の守護に任じられた家で、戦国期には分家との抗争を経て貴久・義久の代に三州を統一します。
義久・義弘・歳久・家久の四兄弟が各方面を担い、耳川で大友を、沖田畷で龍造寺を破って九州の大半を制圧しました。
1587年、豊臣秀吉の20万余に降伏し、薩摩・大隅と日向の一部を安堵されます。関ヶ原では西軍につきながら、敵中突破の撤退(島津の退き口)と戦後交渉により本領を保ちました。
薩摩・大隅・日向の守護から戦国大名へ。義久・義弘の代に九州の大半を制した。
義久(政略)・義弘(軍事)・歳久(智謀)・家久(用兵)が役割を分けて拡大を支えた。

鬼石曼子
島津四兄弟の次男。九州統一戦や朝鮮出兵で武名を轟かせた。

釣り野伏の天才
島津四兄弟の末弟。傑出した軍事的才能を持ち、沖田畷の戦いや戸次川の戦いなど数々の合戦で勝利を収めた。

妖怪首置いてけ
島津義弘の甥。関ヶ原の戦いでは叔父・義弘を逃がすために殿(しんがり)を務め、壮絶な討ち死にを遂げた。
この地域の出身、またはこの地を治めた家に仕えた武将です。生没年と、この地域に掲載している理由を各カードに添えています。
鬼石曼子
1535〜1619/薩摩国の出身/島津氏の武将
釣り野伏の天才
1547〜1587/薩摩国の出身/島津氏の武将
妖怪首置いてけ
1570〜1600/薩摩国の出身/島津氏の武将
三州の総大将
1533〜1611/薩摩国の出身/島津氏の大名
鉄砲伝来の先駆者
1514〜1571/薩摩国の出身/島津氏の大名
金吾
1537〜1592/薩摩国の出身/島津氏の武将
戦国時代の勢力争いは国境をまたいで動きます。隣の国も見てみてください。