宇喜多氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

宇喜多氏を30秒で

宇喜多直家は浦上氏の家臣でしたが、謀略で主家を追い、備前岡山城を本拠とする戦国大名になりました。

毛利と織田の間で去就を変え、最終的に織田方につきます。子の秀家は豊臣秀吉の養女を妻とし、五大老の一人に列しました。

関ヶ原で西軍の主力として奮戦しますが敗れ、秀家は八丈島へ流されて改易となります。

本拠と領域

備前国(岡山城)

歴代当主

  1. 宇喜多直家のAI生成イメージ 宇喜多直家 〜1581年 浦上氏を倒して自立。謀略に長けた武将として語られる。
  2. 宇喜多秀家のAI生成イメージ 宇喜多秀家 1581年〜1600年 豊臣五大老。関ヶ原で西軍主力を務め、八丈島へ流された。

どのように勢力を広げた?

直家の拡大は、婚姻と暗殺を含む調略が中心でした。正面からの決戦を避け、内側から相手を崩す手法が特徴です。

秀家の代には秀吉の庇護を受け、備前・美作を中心に57万石の大名となりました。

最盛期

秀家の代、豊臣政権下での57万石が最大です。文禄・慶長の役では総大将格を務めました。

主な合戦

他勢力との関係

浦上氏
旧主家。直家が倒して備前を掌握した。
毛利氏
一時は従属したが、織田方へ転じた。
豊臣氏
秀吉に厚遇され、養女を妻とし五大老に列した。
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衰退・その後

秀家の代に発生した宇喜多騒動(家中の内紛)で有力家臣が去り、関ヶ原の直前に戦力を落としていました。

関ヶ原では西軍の主力として最後まで戦いましたが、小早川秀秋の裏切りで戦線が崩壊します。

秀家は薩摩に潜伏したのち八丈島へ流され、そこで50年を過ごして没しました。

宇喜多氏に属した武将(3人)

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